「そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい」 第二テモテ2章1節 ( 新改訳聖書第二版)
この言葉は、私が茨木聖書教会で受洗したその日に買い求めた聖書に、故吉持章先生にサインをお願いした時に書いてくださった聖書の箇所です。私は軽い気持ちで記念にと思ってお願いしたのに、先生はしばらく考えてからこのみことばを記してくださいました。名前を書いてもらうだけのつもりだったので、時間をかけてくださったことに内心驚きました。それゆえ、私の信仰の歩みにおいて今もなおこの「恵みによって」という言葉が響き続けています。私が献身して東京基督神学校( 現在の東京基督教大学大学院にあたる) に入学した1989年に平和台恵教会の開拓が始まり、そこに集うこととなりました。先生がいつも言っておられたことは「開拓は経済支援を受けると進みにくい」という逆説的な内容でした。そして、平和台恵教会の「恵」は「十字架を思う」という字であり、いつも主の十字架の恵みに心を向けていれば、必ず教会は成長していくとおっしゃっていました。
5年後、私が赴任したのは教団レベル開拓8年目の支援を受けていた東広島めぐみ教会( 前任者は藤田敦先生) でした。着任当時、新会堂建築後で経済的には厳しかったのですが、私はすぐに「支援は要りません」と連絡しました。すると「あなたは吉持章ではないのだから、感謝して支援を受けてその分伝道に励みなさい」と当時の伝道部長であられた赤江弘之先生に諭されました。いま思うと分をわきまえない生意気で恥ずかしい申し出でした。しかし、その東広島めぐみ教会もまた主の恵みによって強くされて大きく成長したことは、後任の加藤勇介師によって8月号「世の光」に証しされたとおりです。
吉持先生には本当に多くのことを教えていただきましたが、強く心に残っている一つのことを記したいと思います。あるとき、牧師の私を批判する人が出てきて、とても辛くて相談すると、じっと話しを聞いてくれたあと吉持先生は言いました。「林先生、その人が教会に来ると緊張するだろう」「はい」「あの人は来ないほうがいい、そう思っているだろう」「・・・はい」「でも、もし林先生がその人を追い出したらな、心配するな。神さまはもっと強力な人を送ってくださるから」この吉持先生独特の励ましとともに祈っていただいて、それからはただイエスさまの恵みを思ってジーっと忍耐していると、やがてその人の方から教会を移りたいと去っていきました。
開拓には、辛いことや忍耐することが多くあります。しかしどんな時にも十字架の主の恵みに心を向けていくならば、必ずその恵みよって強くなることができます。各地での宣教の戦いに主の恵みが豊かにありますようにお祈りしています。