吉持章先生が6月14日に召天されました。83歳でした。吉持(旧姓鈴木)先生は1936年愛知県に生まれ、17歳の時、岡崎城址の天幕集会で回心し、翌1954年に松田政一牧師から受洗しました。1959年に日本クリスチャンカレッジを卒業(4期生)し、愛宕山・浜松中沢・茨木聖書・平和台恵・館山の各教会での57年間の牧会伝道では、242人の受洗者と48人の献身者が生まれました。教団では国外宣教部の立ち上げ、浜名湖バイブルキャンプの設立に関わり、1996年から4年間理事長を務められました。
1987年から東京キリスト教学園の理事長・学園長を17年間務め、この間に学園は国立から千葉県印西に移転、東京基督教大学が設立されました。1998年に日本福音同盟理事長(2年間)となり、2003年からスウェーデン同盟キリスト教団(いのちのことば社)理事長(15年間)、2006年からは特定非営利活動法人ワールドビジョン・ジャパンの監事(11年間)などを歴任されました。1996年に米国バイオラ大学より名誉神学博士号授与、2018年には福音功労賞を受賞されています。
1961年に吉持宣子姉と結婚、長女菊池真恵美姉(伝道師)、長男厳信兄(元ネパール医療宣教師)、次男日輪生兄(牧師)に恵まれ、宣子姉の召天後、2005年に鴨藤節子師と再婚されました。著書に『イエスの涙』ほか恵みの霊想全10冊、『教会役員・リーダーの20ポイント』、『日々の宝』、『坂道を前に』があります。
6月19日に自宅で家族葬が営まれ、7月24日には東京キリスト教学園で廣瀬薫学園理事長を葬儀委員長に「学園・吉持家合同葬」が行われ500人が参列しました。吉持日輪生牧師の司式で、菊池良一牧師が故人略歴を紹介、西大寺キリスト教会の赤江弘之牧師・いのちのことば社の多胡元喜元会長・那覇めぐみ教会の林明信牧師が思い出を語り、私が「見つけるまで捜し続ける人」と題して説教しました。吉持先生が召される1か月前の5月12日、平和台恵教会においてルカ15章8〜10節のドラクマ銀貨のたとえから同じ題で語られた最後の説教を紹介しました。その説教を吉持章先生は次のように結ばれました。
「主は言われます。『わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。』このことばは客観価値ではないんです。主観価値なんです。ほかから観たらあの背の小さい、団子鼻の、もてそうもない牧師。しかし、神さまは違うんです。とっておきの、あの泥の中から見つけ出した、磨いた、わたしの吉持。探し続けていてくださいます。」
そして祈られました。「傷だらけかもしれません。汚れや染みが付いているかもしれません。しかし、あなたの目から見ると、その傷が記念であり思い出であり、忘れることのできない印であります。」