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日本同盟基督教団 教団事務所 

「時の間」を生きる 理事長 朝岡勝

「時の間」を生きる

理事長 朝岡勝(徳丸町キリスト教会牧師)

いま、この時

新型コロナウイルス感染の拡大と長期化により、仕事や学業、日々の生活に様々な困難が生じている兄弟姉妹のお一人一人に、主の守りと支えがありますように。またそのような中にあっても福音宣教に励まれる諸教会に聖霊の慰め、励まし、希望が満ちあふれますようにお祈りいたします。

この紙面が皆さんに届く 5月、日本の社会がどのようになっているか見通しがつきません。今、この原稿を書いているのは受難週の最中ですが、私が奉仕する教会では 3 月末から主日礼拝は各家庭でのオンラインによるネット参加の礼拝に切り替え、ネット視聴環境のない方には事前に週報と説教原稿をお渡しし、各自での礼拝が続けられています。教会が主日の公的礼拝に共に集まることのできないという今まで経験したことのない日々が続く中で、キリストのからだである教会の霊性と健康がなんとか保たれるようにと祈りつつ試行錯誤を繰り返しているところです。

主イエスの不在の時

そのような状況下で私たちはイースターを祝い、ペンテコステに向かう日々を過ごすという「時の間」を生きています。イースターからペンテコステという時の間。それは「主イエスの不在の時」です。ルカは福音書と使徒の働きでこう記しました。 「それからイエスは、弟子たちをベタニアの近くまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らから離れて行き、天に上げられた」(ルカ24 章50 〜 51節)「こう言ってから、イエスは使徒たちが見ている間に上げられた。そして雲がイエスを包み、彼らの目に見えなくなった」(使徒1 章9 節)よみがえられた主イエスが地上から上げられ、天へと去って行かれる。弟子たちは地上に残される。それまでともにおられた主イエスの不在。そのお姿を見ることもできず、声を聞くこともない。それはどれほどの不安、恐れ、心細さを抱かせるものであったことでしょうか。

弟子たちが経験した一番の「主イエスの不在」の時とは、十字架から復活までの「時の間」でしょう。最大の危機の時に肝心の主イエスがおられない。その時の弟子たちの抱いた不安や恐れの心境は、エマオ途上の二人の弟子(ルカ24 章13 節以下参照)や、部屋の中に閉じこもっていた弟子たちの姿(ヨハネ 20章19 節以下参照)によくあらわれています。しかしイースターの朝、よみがえられた主イエスは彼らの真ん中に立たれ、「平安があなたがたにあるように」(20 章19 節、21節)、「聖霊を受けなさい」(22節)と言われました。

時の間を生きる

今、私たちが経験しているのも、ある意味で「主イエスの不在の時」です。よみがえられた主イエスは昇天されましたが、「あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります」(使徒1 章11 節)と御使いが言ったように、やがて再びおいでになる再臨が約束されています。この「時の間」を私たちは生かされていますが、それはともすると「主イエスの不在の時」と思われます。特に今日のような危機の時、教会もまた不安と恐れにとらわれるものです。

しかし主イエスは十字架を前にこう約束されました。「わたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。この方は真理の御霊です。・・・わたしはあなたがたを捨てて孤児にはしません。あなたがたのところに戻って来ます」(ヨハネ14 章16〜18節)

聖霊によって主イエスはいつも共にいてくださいます。主イエスに「不在の時」はありません。日ごとに聖霊によって主イエスの臨在を仰ぎ、聖霊に満たされて、困難な中にも宣教に遣わされてまいりましょう。

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