日本とアジアと世界に仕える Japan Alliance Christ Church
日本同盟基督教団 教団事務所 

「新約教会に見習って家の教会を」

「新約教会に見習って家の教会を」
宣教研究部長 趙南洙(招待キリスト教会牧師)

「そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった」(使徒2章46〜47節)

主のからだである教会を建てあげる教会形成の見本は、新約聖書に出てくる教会ではないかと思います。教団教派によって若干の違いはあるとしても、目指すべき教会形成の見本は、それぞれの教派の伝統教会ではなく、新約教会です。地域(ローカル)の会堂教会にも集まり、それぞれ信徒の家でも集まって、教会の存在目的である、たましいの救いと弟子づくりのために、礼拝と交わり、伝道と教育などが執り行われるべきです。また、家で集まる家の教会が教会として持続するためにも、守るべき新約聖書的教えをしっかり覚えることもとても大切です。
新約聖書によるとすべてが家の教会であり、彼らは会堂教会と同じように休まず、毎週家で集まるのを原則にしていました。物理的な障害などにより、集まれない場合もあり得ますが、家の教会こそ教会であるので毎週集まるべきです。たとえ、一緒に集っていたメンバーが来ない状況が起こっても休まず、家で集まるのが大切です。それもレストランやコーヒーショップではなく、日々の生き方を分かち合える信徒の家で集まるのが大切です。
家の教会には、真心による愛餐の大切さがありました。大切な食事を一緒にしないなら家族になれないので、彼らを家の教会と言えません。真心をもって食事を共にするのは互いに仕え合う愛の実践です。そのため、よく生かされている家の教会には必ず、持ち寄りの手作り料理による豊かな愛餐(アガペー)があります。やむを得ず出前による愛餐もあるかもしれないけれども、真心をもって食事を共にするなら、手作りにもおとらないと思います。
家の教会には未信者(VIP)も共に集いました。迫害の時代にもかかわらず、多くの未信者が家の教会に招かれていました。それはたましいの救いが教会の存在目的であったからでした。未信者が来ない教会は、現状維持も無理です。新しいたましいが起こされない教会は、マンネリズムにはまり、霊的勢いまで消えてしまいます。だからこそ、教会はすでに信じる信徒への関心より未信者への配慮を増やすべきです。このような考えは、律法主義的な形式ではなく、新約聖書の理念を守り、教会の存在目的を取り戻すための実践信仰の証であると言えます。

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