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日本同盟基督教団 教団事務所 

感謝の先取り 理事長 朝岡勝

感謝の先取り

理事長 朝岡勝(徳丸町キリスト教会牧師)

 

主に感謝することは良いこと
主の2021年、教団の宣教130周年を迎えるこの年、愛する皆さんお一人おひとりと諸教会の上に、父、子、聖霊の三位一体の神の御名によって祝福をお祈りいたします。
「主に感謝することは、良いことです。いと高き方よ、あなたの御名をほめ歌うことは」(詩篇92篇1節)。このみことばは、私がお仕えする徳丸町キリスト教会の昨年の年間主題聖句でした。「感謝」を掲げて歩み出した矢先に新型コロナ・パンデミックに見舞われた2020年、よもやこのような1年になるとは思いもしない1年を過ごし、なお先の見通しの晴れないままに2021年を迎えることになりました。そのような時にあらためて「主に感謝することは良いこと」と歌う詩人の信仰に深く教えられたいと願うのです。
何かを為しつつある途上にあって「感謝する」というのは簡単なことではありません。何かが成し遂げられた時に、1つの区切りを迎えた時に、結果が目に見えてあらわれた時に、それまでを振り返って「感謝する」というのが自然なことでしょう。まだ何も成し遂げていない、区切りを迎えていない、結果を見ていない、それどころかいまだ出口の見えない暗いトンネルの中を手探りで進んでいるような状況で「感謝する」というのは難しいことでしょう。
感謝の先取り
「主に感謝することは良いことです」とのみことばは、目の前の混沌とした状況にもかかわらず、しっかりと踏ん張っている決然とした信仰の姿勢、主なる神への信仰の告白の言葉としての説得力をもって力強く迫ってきます。
そこにはまず感謝すべき出来事があって、それについて感謝するという、私たちが通常に考えるような「感謝の秩序」を超えた「感謝の先取り」の信仰の姿勢が表れています。何事もまだ目の前に現実になっていない時に、それが自分にとって感謝できることか否かという判断材料が出揃う前に、まず「主に感謝することは良いこと」と信仰の態度を決めるという信仰の姿勢です。「結果」としての感謝でなく、「先取り」としての感謝、主への信仰告白としての感謝、決断としての感謝、態度表明としての感謝。聖書にはこのような「感謝の信仰」というものがあるのです。
感謝をもって振り返り、感謝をもって仰ぎ見る
聖書から教えられる「感謝」の基本的なかたちを、大きく2つの視点で捉えておきたいと思います。1つは過去を「感謝をもって振り返る」ということ、いま1つは未来を「感謝をもって仰ぎ見る」ということです。詩人が「主に感謝することは良いこと」と歌う時、そこでは過去の経験の中から感謝できる経験だけが選別されたり、抽出されたり、あるいは過去の経験が感謝のストーリーに書き換えられたりすることはありません。苦難の経験、痛みの経験、罪の経験、傷の経験、およそ感謝とはほど遠いような経験も含めて感謝の経験となって受けとめられているのです。「感謝をもって振り返る」ことは、「感謝し得ないことも含めて感謝する」という姿勢を私たちに教えています。
「感謝をもって仰ぎ見る」と言うとき、そこで見つめられるのは神の救いの完成です。詩人はここでこの神の創造の御わざの成就と完成の時を仰ぎ見ながら、「主に感謝することは良いこと」と歌っています。こうして「感謝をもって仰ぎ見る」ことは、「感謝を先取りする」という姿勢を私たちに教えます。今がどれほど混沌と困難の中にあったとしても、神の約束を信じ、神の御手のわざを信頼して感謝する。感謝するかどうかの判断や主導権を私たちが持つのではなく、「主に感謝することは良いこと」と最初に態度を決める。この「感謝の先取り」の姿勢を教えられながら、この年の歩みを進めてまいりましょう。

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