ある時、青年と都内のコーヒーショップで待ち合わせをしました。その青年が到着し、会話が弾んだときに、ふと彼の鞄から見えた1冊の冊子に目が留まりました。どこかで見たことのある冊子だけれども、何を読んでいるのだろう。不思議に思いながら尋ねました。するとそれは同盟基督教団が毎年発行している「祈りのネットワーク」だったのです。このような若者が普段から「祈りのネットワーク」を持ち歩いているなんてと、驚嘆(or感動)しました。
彼曰く、電車の中でもどこでも隙間時間があればページをめくってしばしの祈りの時をもつようにしているとのことでした。同盟基督教団にはこのような素晴らしい青年がいるのかと、改めて感心してしまいました。感心しているだけでは駄目なのでしょうが。
コロナ禍にあって、以前と変わらずできることを1つ挙げるとしたら、それは祈りだと思います。もちろん教会の祈祷会などで皆が集まって祈るということは以前のようにはできないのかもしれません。しかし、私たち一人ひとりにこの「祈る」という恵みと特権が主から与えられています。その一助となるのが「祈りのネットワーク」です。
国外宣教の働きも多くの祈りによって支えられています。異文化の地に根差しキリストの福音を現地の方々のことばで語り継ぎ、教会を建て上げている宣教師の先生方にとって最も大きな励ましとなるのが皆さんの祈りです。台湾のある先生が以前こうおっしゃいました。「宣教は祈りを忘れてはならず、祈りは宣教を忘れてはならない」と。祈りが乏しい宣教支援は事務的作業でしかありません。一方で、宣教が乏しい祈りは教会的ではないとの意味だと思います。
私たちの支援は不十分かもしれません。しかし、その不十分さの中においても、主は働いてくださり、私たちの祈りを用いてくださいます。五千人の給食で、もっていたもの全てをイエスさまにささげたあの少年のように(ヨハネ6章9節以下)、私たちも自分の全てを主にささげつつ祈り続けたいと願います。そのためにも「祈りのネットワーク」が豊かに用いられますように。
(「祈りのネットワーク」2022年版は6/7日から順位、配布予定です。所属教会でお受け取り下さい。)