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「日本プロテスタント教会発祥の記念碑」がTCUに

「日本プロテスタント教会発祥の記念碑」がTCUに
 東京基督教大学学長 山口陽一

今から150年前の1872年3月10日、日本人を会員とする最初のプロテスタント教会である日本基督公会(現日本キリスト教会横浜海岸教会)が設立されました。その日の受洗者9名の一人である篠崎桂之助(19歳)は、教会設立につながる初週祈祷会の発起人です。彼の祈りの提案から日本のプロテスタント教会は生まれました。その意味では「日本のプロテスタント教会発祥の記念碑」と言ってもよいものです。 篠崎桂之助は幕臣の子で静岡の人です。会津の井深梶之助は彼によって新政府への遺恨を捨て、原胤昭は病床の彼に励まされたそうです。肺を患い1876(明治9)年に24歳で亡くなります。墓を建てたのは、共に洗礼を受けた櫛部漸です。櫛部は築地病院の医師でした。碑は、漸の曾孫にあたるご家族から本学に寄贈されました。東京都の谷中霊園から8月23日に移動しました。高さ160㎝、幅100㎝、厚さ13㎝。漢学者でメソヂスト教会の信徒、中村正直(敬宇)が撰文(せんぶん)、篆刻(てんこく)は書家の平山省斎で、以下のような内容です。

君、名は桂之助、氏は篠崎、桂香と号す。父とともに良く幕府に仕う。
君、性格は温厚で学を好み、勤勉さは群を抜く。19歳で横浜に出て、
米国教師バラ氏に就いて英書を学ぶ。日本に聖なる教会が初めて設立された時、
君、長老に選ばれ、誠心その職にあたり、皆に多くの益を与えた。
明治9年9月25日病没。嘉永5年5月15日生まれ、享年25歳、谷中天王寺に葬る。

『少年は道を好み長老の職を果す  霊は不滅にして永く傍に講席する』

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