「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるので、あなたを襲って危害を加える者はいない。この町には、わたしの民がたくさんいるのだから。」(使徒の働き 18章9〜10節)
パウロは、恐れと不安の中にありました。主はそれを知っておられ、夜の幻の中でパウロに「恐れないで、語り続けよ」と言われました。直前の箇所では、会堂司クリスポと家族全員が主を信じ、多くのコリント人もバプテスマを受けています。コリント伝道は順調に思えました。でもパウロは恐れの中にありました。Ⅰコリント2章3節では「あなたがたのところに行ったときの私は、弱く、恐れおののいていました」と回想しています。疲れ果て、落胆し、ひどく不安だったのです。
町々で福音を伝え、信仰に入る人々が起こされ、教会が生み出されましたが、激しい迫害も経験しました。鞭(むち)で打たれ、投獄もされました。理不尽な扱いを受け、口汚くののしられ、逃れるしかなくて、町から町に福音を伝えてきたのです。度重なるヘイトクライムで心傷ついたことでしょう。病も経験しました。心が弱くなって当然です。
恐れによって、人は臆病になり、自分はダメだという評価を下してしまいます。恐れによって、過剰に防衛的にも攻撃的にもなります。恐れによって頑なにも言いなりにもなってしまうのです。恐れは、様々なレベルで、人がよく生きることを困難にする状況を作り出してしまいます。
しかし聖書の神は、人を恐れから解放し、勇気づける神です。「恐れるな。わたしがあなたとともにいる」と何度も語り続けてきました。モーセやヨシュアにも「恐れるな」と語りました。重圧に押しつぶされそうなリーダーに、誰にも理解されずに孤独に苦しむ預言者に、「自分はもうダメだ」と自分を責め立てる声に苛まれる人にも、神は「恐れるな」と語りかけました。聖書の神は、責め立てる神ではなく、励ます神です。聖書では、責め立て、告発する者とは、サタンのことです。神は、反対に「恐れるな」と励まし、「あなたは尊い」「あなたは価値がある」と存在の喜びを教え、立ち上がらせる神です。不安や恐怖心をあおって、マインドコントロールで人の生活を破綻させるような神ではありません。いのちを奪う神ではなく、いのちを与える神です。
恐れから解放する神は、使命の中に生かす神でもあります。「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない」。あなたにはなすべき事がある。伝道者パウロにとっては、異邦人に福音を届けることが、神から委ねられた使命でした。使命は伝道者にだけ与えられているのではありません。神はひとり一人を大切な存在と認め、それぞれに使命を与えて、その人生を用いてくださるのです。「神のみこころにかなう働き」(世の光10月号・山口陽一理事)が、ひとり一人にあるのです。恐れるな。あなたが担うべき仕事がある。ここにはあなたが愛すべき家族がいる。あなたが仕えるべき、わたしの友がいるのだ、と神は語りかけるのです。
神と無関係に生きていたコリントの人たちの中に、神は、すでにご自身の民を見出し「わたしの民がたくさんいる」と言われました。神は私たちの存在と「みこころにかなう働き」を通して、たくさんのご自身の民を呼び出そうとしておられます。
暗闇が世界を覆っているように見えます。小さな私たちに何ができるのかと諦めの思いがよぎります。でも神は「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない」と、教会である私たちひとり一人に語りかけるのです。闇の中に輝く光となって来られたキリストは、「小さな群れよ、恐れるな」(ルカ12章32 節)と励まし、「世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます」(マタイ28章20節)と約束されたのです。恐れから解放し使命に生かす喜びの使信を、語り続けて参りましょう。