日本とアジアと世界に仕える Japan Alliance Christ Church
日本同盟基督教団 教団事務所 

宣教の教会、宣教の教団として進もう 理事長 朝岡勝

宣教の教会、宣教の教団として進もう
理事長 朝岡勝(東京キリスト教学園派遣教師)

「それからイエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを癒された。」マタイ9章35節

主の年2023年、あけましておめでとうございます。戦争は終わらず、疫病も止まず、悪しき力の暗躍が続くこの年も、福音の宣教のために一層力を結集する私たちでありたいと願います。日本同盟基督教団に連なる諸教会と兄弟姉妹の皆さまに、主の大いなる祝福と豊かな恵みがありますように!

主イエスのお姿を見つめる
マタイによる福音書9章は、主イエス・キリストの宣教のお姿を「巡り」「教え」「宣べ伝え」「癒す」という4つの言葉で表現しました。ここには主イエスの人格と御業、語られた言葉と生きられた姿という互いに切り離すことのできない姿が示されています。
主イエスは私たちに神のみこころをはっきりと語ってくださるまことの預言者です。神のひとり子にして私たちを罪と滅びの中から十字架の贖いによって救い出して神の子とし、罪の赦しと永遠のいのちを与えてくださるまことの祭司です。そしてこの世界を聖め、やがて神の国へと完成させてくださるまことの王です。
この主イエスの人格と御業を見つめるとき、私たちが宣べ伝えるべき福音と、それを伝える使命がはっきりしてくるでしょう。主イエスが語られ、生きられた神の国の福音を伝えるという宣教の使信です。

主イエスの眼差しの先を見つめる
さらに私たちは主イエスのお姿を見つめるのみならず、主イエスの眼差しの向かう先をも見つめるように召されています。36節はこう続きます。「また、群衆を見て深くあわれまれた。彼らが羊飼いのない羊の群れのように、弱り果てて倒れていたからである。」まことの羊の大牧者である主イエスは、私たちの生きるこの世界を「羊飼いのない羊の群れのように、弱り果てて倒れている」と見つめ、この世界を「深くあわれまれた」のです。これは単なる憐憫(れんびん)の眼差しではありません。むしろご自身の羊を愛し、その羊のために命を捨てると言われ、そのとおりに十字架への道を進まれた主イエスの眼差しです。
主イエスは目の前の群衆を十把一絡げに見つめられたのではないでしょう。また彼らのうわべだけを見たのでもないでしょう。一人ひとりかけがえのない個別の存在として、また罪と悪の中で喘(あえ)ぎ苦しみ、弱り果てている、救いを必要とする人間として見つめられたのでした。それは私たちのかつての姿であり、また私たちの目の前に生きている人々の姿でもあります。このように「人間」というものを深く、個別的に見つめられた主イエスの眼差しを追うようにして、私たちもこの世界を見つめ、そこに生きる一人ひとりの存在を深く洞察するものでありたいと願うのです。

働き手を求めて
そして主イエスは言われました。37節、38節。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、ご自分の収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」
疲れ果てて倒れている人々の姿を見つめた主イエスがなさったのは、「働き手を求める」ことでした。しかも働き手を求めて祈るように弟子たちに求められました。「巡り、教え、宣べ伝え、癒す」わざに参与する働き人を求められたのです。ここに私たちへの招きがあります。福音宣教は急務の課題です。世にあって証を立てる献身者が必要です。それとともに、そしてそれ以上に、収穫のための働き手、伝道のための献身者が必要です。この年、宣教の教会、宣教の教団として進む私たちであるように祈りましょう。そして福音宣教のための働き手が起こされるように切に祈りましょう。

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