第2次世界大戦が終結して今年で78年になります。戦後、平和に見える世界の中で今まで100近い戦争あるいは地域紛争が起きています。根底には貧困や思想分断がありますが、キリスト教会的に言えば数百年にわたる福音宣教のやり方のつけが、アフリカ、中央アジアなどに影をおとし、もう二度とキリスト教はご免であるというアレルギー体質が生まれていることも事実です。
今回はウクライナの周辺で起きていることを見ながら世界を俯瞰(ふかん)してみたいと思います。
シルクロードにあるようにアジアからヨーロッパは繋がっており、この地域は戦争と略奪の歴史であり、またアジア文化とヨーロッパ文化の交流と差別化があり、宗教的にはキリスト教と他宗教の争いがあり、同時にキリスト教会内部における権力抗争と他宗教への力による改宗の傷あとが混在します。
本来、平和や和解の福音であるものが教会政治の力学の中で主の教会はまさしく闇の中を歩む憎しみの肉の連鎖が延々と続いて血肉の争いが絶えません。パウロはエペソ6章11〜12節で「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、〜悪魔との闘いである」と明白に述べております。
しかも悪魔には策略があるというのですから、私たちの戦いにも策略と愛の力が必要になります。
正教会は地域の国ごとに主座が設けられ、ロシア正教会とウクライナ正教会は兄弟分でありながら、そこには力関係が存在し、キリスト中心の体としての運動体ではなく、肉の力があからさまに出ています。
この姿は西側のカトリックや旧プロテスタント諸教会にも散見することができます。
霊的戦いと言いながらほとんどの場合、肉の問題、つまりキリスト抜きの教義の論争、破門しあう、愛の教会とはかなりずれのある権力抗争の構図があります。
ロシアで言いますと現政権のもとに正教会の存続があり、批判などしたら一日のうちに身の危険が押し迫ります。神のことばは本来、天地創造の神の権威を帯びるものですから、為政者や王様などの権威の上におかれるものですし、預言者的立場にあるはずのものが、教会を守るという非常に分かりやすい論理の中で、神の国のみことばは分断され、教会は力を失います。
私たち日本のウクライナ緊急支援会と共に働いているポーランド共和国の難民支援のリーダーのDr.Czelaw Bassara(バサラ先生)は、暗闇の中に奇跡があると言いました、それはこの紛争を通して遠いアジア、日本とヨーロッパがともに手を携えて、ご奉仕ができるようになったこと。また以前然は近くて遠いポーランドとルーマニアとモルドバ共和国が友になりキリストの為に労することができるようになったこと、またウクライナとポーランドは仲が悪かったけど、主の御旗のもとに協力関係が前進したことと語っています。
国を超え、御国の為に地の果て宣教に関われることはなんと素晴らしいことでしょうか。まさに暗闇の中に一筋の光がともりました。同盟基督教団の諸教会がこれからも国内のみならず、世界のキリストの体なる教会と共に御国のために働けることに感謝いたします。