「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、あなたがたの道は、わたしの道と異なるからだ。 ー主のことばー 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ55章8〜9節)
1 人の現実、神の現実
このみことばは、祖国イスラエルの滅亡という悲惨な現実を前にして、主が預言者イザヤを通して語られた恵みの招きと救いの約束の言葉です。
目の前の悲惨で過酷な現実を前にして、主の約束の言葉をなかなか信頼できないイスラエルの民。それはまた私たちの姿でもあるでしょう。みことばが約束する神の現実よりも、自分の目の前に広がる人の現実のほうがよりリアルでより圧倒的に思えてしまう私たち。「聖書はそう言うけれど、しかし現実は・・・」とつい口にしてしまう私たち。しかしそんな私たちに主は言われるのです。人間の基準でわたしの思いを測るな、と言われる。人間の考えの中にわたしの考えを取り込むな、と。
2 神の言葉の確かさ
私たちの思いを遙かに超えた神の言葉。私たちの限界を超えて上からもたらされる恵みの言葉。私たちの小さな考えを圧倒し、私たちが見渡す道を遙かに超え、私たちの限りある思いを無限の天の高みへと引き上げてくださる神の言葉。そのような確かな言葉が、私たちに向けて、私たちのために、私たちを生かす言葉として語りかけられているのです。
私たち日本同盟基督教団の三本柱の中心は「聖書信仰」です。教団信仰告白第一項が「旧新約聖書66巻は、すべて神の霊感によって記された誤りのない神のことばであって、神の救いのご計画の全体を啓示し、救い主イエス・キリストを顕し、救いの道を教える信仰と生活の唯一絶対の規範である」と告白する通りです。
この告白の内実は、ただこのように言い表すのみならず、私たちがまことにそのように聖書を読み、聖書を説き、聖書に記された神の言葉の確かさによって生きることによって証しされます。その時に私たちはイザヤを通して語られた神の言葉の確かさを受け取ることができるでしょう。「雨や雪は、天から降って、もとに戻らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種蒔く人に種を与え、食べる人にパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、わたしのところに、空しく帰って来ることはない。それは、わたしが望むことを成し遂げ、わたしが言い送ったことを成功させる。」(10〜11節)
3 天が地よりも高いように
「天が地よりも高いように。」聖書の中に出てくる類比は、小さな事から大きなことへという数や量の比較でなく、人間の現実から神の国の現実への比較です。また身近に手で触って私たちが確かと思うことから、信仰によってのみ捉えられる、私たちの確かさを超えた神の確かさへと私たちを携え挙げる比較です。
人の現実を超えて働く神の現実を見よ、神の言葉を信じて生きよ、主の御思いは私たちの思いよりも高いのだ。この主の語りかけにいっそう信頼したいと思います。神の言葉は私たちが思う以上に私たちの現実をよく知り、私たちの現実を超えて働き、そして私たちに祝福をもたらしてくださる、この上なく確かで、信頼するに値するものだということをいっそう確信したいと思います。
出エジプトのイスラエルの民が毎朝ごとに降る天からのパン、マナによって養われて生きたように、主イエスが「日ごとの糧を今日与えてください」と祈るようにと教えてくださった祈りのように、父なる神のよき摂理の御手に支えられ、「明日のことを思い煩うのはやめなさい」、「明日のことは明日が心配します」と語ってくださる主イエスの言葉に導かれ、今日も私たちとともにいてくださる聖霊の力によって、一歩一歩、歩んでまいりましょう。