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日本同盟基督教団 教団事務所 

「神がともにおられる」宣教 出版局局長 宗田信一

「神がともにおられる」宣教

出版局局長 宗田信一(生駒めぐみ教会牧師)

「この時からイエスは宣教を開始し、『悔い改めなさい。天の御国が近づいたから』と言われた。」(マタイ4章17節)

昨年6年ぶりに牧会復帰して赴任した生駒めぐみ教会は、今年宣教50周年を迎えています。聖書の中で50という数字を探すと、50年目に土地が持ち主のもとに帰るヨベルの規定(レビ記25章)や聖霊が使徒たちに注がれ教会が生まれたペンテコステ(五旬節)の出来事(使徒2章)があります。このふたつに共通しているのは原点です。教会は神によって始められ神のものであることを覚え、6月の教会研修会で「神がともにおられる」宣教を学びました。
「神がともにおられる」恵みは、マタイの福音書全体のテーマです。マタイの福音書1章は、神の御子キリストが、聖霊によって処女マリアの胎に宿られ「神がともにおられる」恵みが示されたことを伝えています。16章は、イエス・キリストが、信じる者たちを呼び集めご自分の教会を建ててくださる恵みを伝えています。18章は、イエス・キリストが、ふたりでも3人でもイエスの名で集まるところにはともにいてくださる恵みを伝えています。28章は、イエス・キリストが、宣教する教会と世の終わりまで、いつもともにいてくださる恵みを伝えています。
ガリラヤで働かれたイエス・キリストが宣べ伝えた「天の御国」には「神がともにおられる」恵みが満ちあふれていると言えます。イエス・キリストにあって「神がともにおられる」恵みが満ちあふれる「天の御国」を宣べ伝えるのが宣教と言えます。マタイの福音書は、イエス・キリストが巡り歩き宣教したことを2度同じことばで伝えています。「イエスは・・・会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病、あらゆるわずらいを癒やされた。」(4章23節、9章35節)。神のことばを教え、福音を宣言したイエス・キリストのことばと行いによって、「神がともにおられる」恵みが満ちあふれ、人々の身体と心のすべてに平安が与えられました。
「行って、『天の御国が近づいた』と宣べ伝えなさい。・・・話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話される、あなたがたの父の御霊です。」(10章7節、20節)。使徒たちは、イエス・キリストが十字架の死から復活して50日後、聖霊に満たされ、大胆に宣教しました。イエス・キリストの宣教の働きは、使徒たちに受け継がれました。そこで罪を悔い改めイエス・キリストを信じて洗礼を受けた3千人ほどが仲間に加えられ、彼らは使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしました。このペンテコステに生まれた教会は、行いと真実をもって愛し合い、神を賛美し、人々から好意をもたれ、「主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった」(使徒2章47節)のでした。そこで使徒たちは「神がともにおられる」恵みによって宣教し、そこで生まれた教会に「神がともにおられる」恵みが満ちあふれました。
「宣教」と言われると、「とても私にはできない」と思うかもしれません。私もそうでした。高校1年生で洗礼を受けた私は、「多くの人の前で聖書の話をすることと、一対一で聖書の学びを導くことは絶対にしない」と堅く心に誓っていました。しかし、聖書を読むうちに私ではなく「キリスト」が宣教の主語であることを知り肩の力が抜けました。教会の宣教の原点は、ペンテコステの出来事でありイエス・キリストのガリラヤ宣教です。世界の基が据えられる前からイエス・キリストにあって私たちを選んでおられた神が教会の宣教を導いておられます。イエス・キリストにあって「神がともにおられる」恵みが、宣教する私たち教会の原点です。教団諸教会の宣教活動が豊かに導かれ、「神がともにおられる」恵みが満ちあふれますように。

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