「良い知らせを伝える人の足は、山々の上にあって、なんと美しいことか。」(イザヤ52章7節)
既に都市部には教会が建ち始めていた1891年に、伝道を開始した同盟教団(協会)。その伝道者たちは、都市より地方、特に飛騨や伊豆半島、そして伊豆諸島など未伝地伝道を志しました。その苦労は計り知れません。その1つである伊豆大島を歩き巡って伝道した先達の熱々フランソン・スピリットを、追体験し継承するツアーをこの夏行いました。参加された教職の感想をご紹介
します。
30数年ぶりの大島渡航でした。元村教会教会員である金川文代さんの「はぶの家」に宿泊し7人でレンタカーで大島をほぼ2周、三原山に登りました。
大島元村教会会堂で菅野勝之・百合子牧師夫妻のお話を伺った後、勝之牧師の案内により移築して保存された旧会堂を見学しました。1937年に現在地に建築され1982年に西浜豊造氏より同氏の所有地「駒の里」に移築されました。西浜氏は由緒ある建物を郷土に残したとのことです。現在は敷地内で内部は物置となっていました。相沢良一牧師の自慢だったという1970年竣工の納骨堂も元町霊園に見学しました。奥まったところに堂々と存在し、生越実造牧師・登里夫妻、相沢良一牧師・悦子夫妻など58名の名前が記されていました。傷んだ納骨堂は菅野牧師の代で改修されたそうです。元村での伝道は土肥貞次牧師によって1903年に開始され1911年の教会設立以来約30年間会堂として使用された草ぶき屋根の最初の会堂の場所を確認しました。現会堂から坂道を下った元町の港の山田回漕店がその場所であるとのことで、道を挟んで観光協会の正面でした。
菅野牧師のご好意により、兼牧する波浮教会の礼拝堂で川口葉子委員の発表「日本同盟基督協会の大島伝道(1894〜1934年頃)」を聴き、波浮教会の納骨堂を見学しました。こちらも奥まったところに堂々と建てられていました。納骨堂とは別に土肥貞次牧師夫妻の十字架型の墓もありました。同墓地内には大島における最初の受洗者と思われる秋広伝之助家の墓には、「昭和七年十一月十五日父秋廣傳之助永眠六十九才」とあり伝之助は1863年頃の生まれで30歳ころ受洗したようです。
白川藤太郎編著『伊豆大島伝道五十年史』によれば、秋広伝之助はプリマス・ブレザレンの伝道師によって受洗したとされ
ます。同書は同盟協会の伝道と同じ頃であろうとし、伝之助は源吉の厳父で非常に進歩的な考えの持ち主だったと記しています。ブレザレンのブランドの来日は1888年で、同派の伝道者には平野浅之助、早川谷次郎、浅田正吉などがいます。正吉は、日本橋教会の長老で軽金属の洋白会社の創立者浅田喜三郎の子です。(藤尾正人編『浅田正吉著作選集』(1959)の「浅田正吉の生涯」)。
1901年9月、須永徳太郎は差木地の松前於傳宅、土肥貞次は野増村曽根米次郎宅に寄留して伝道したという差木地と野増の位置も確認することができました。