シリーズ最終回は納骨について考えましょう。日本における埋葬の種類と埋葬の可能性を検討すると、以下のいずれかになるでしょう。
土浦めぐみ教会は、教会納骨堂の建築を選びました。教会の境内地に、記念会や結婚式までできる納骨堂「チャペル・ピスガ」を建築したのです。その後の教会成長に大きな祝福となった、その建築および意義について考えます。
境内地内の納骨堂「ピスガ」建築の意図
まず「喜楽希楽会」と呼び合う高齢者のみなさんと、いくつかの納骨堂を見学しました。その結果みなさんからはっきりした希望が表明されました。1)明るく狭くない所 2)天国の希望がある讃美歌の聞こえる所 3)遠くでなくちょくちょく来てくれる所、というものでした。そのような要望を満たそうと、結論として境内地内に納骨堂を建築することを決めたのです。進めるうちに、せっかく建築するなら納骨堂だけの建物でなく、記念会やミニコンサートができるチャペルを、と発展しました。
納骨スペースの宣教学的意義
日本宣教あるいはキリスト教の土着化を考える時、終活から葬儀そして納骨から記念会にいたる、キリスト教葬制文化の創造が喫緊の課題だと痛感しています。納骨堂(あるいは納骨スペース)の宣教学的意義について考察しましょう。
骨の絆はとてつもなく強い
極端な場合を除けば、家族や夫婦は一緒に葬られることを希望するものです。教会員の父親が納骨されるなら、その母親も必ず同じ場所に納骨するものです。遺骨には、家族を引きつける非常に強い力があるのです。遺骨の吸引力と絆は強いのです。私たちの教会では、納骨堂が出来てからは、家族単位で教会に加入される方が多くなっています。家族伝道の最良の方策は、葬儀や納骨を大切にすることでしょう。
骨のある所が故郷になる
また両親の遺骨がある所には、日本人は墓参りをします。つまり家族は両親の納骨場所に戻るのです。一般的に言うと、故郷とは自分の子ども時代をすごした場所ですが、年老いて兄弟や友人が地方に散在するようになると、故郷とは両親の墓所がある所だと感じるようになるのです。つまり日本では、骨のある所が私たち家族の故郷になるのです。その意味で、土浦めぐみ教会は多くの人にとってまさに「故郷」なのです。
ピスガ納骨堂は家族伝道のため
現代日本では、青年だけがクリスチャンで、家族はクリスチャンではないという場合が多くあります。そしてもしその青年が召されると、教会に納骨場所がないなら、未信者家族の仏教寺院墓地に埋葬されます。故人の焼骨が仏教寺院の家族墓地に埋葬されたら、そこで教会との関係も切れてしまいます。親から言えば、家出した息子が骨になって帰ってきたと感じるようなものです。反対に家族の内の1人が、教会納骨堂に納骨された場合、故人の葬儀や納骨が、そしてその後も繰り返される記念会が、家族全員を教会に引き寄せる機会になることが期待できます。教会は教会員にとって実家のようになるのです。
移骨による檀家制度からの出エジプト
ある教会員は、母親の死に際してキリスト教葬儀をし、またピスガに納骨することにしました。その際、檀家寺に埋葬されてあった父親と祖父母そして弟の遺骨を、教会の納骨堂に移骨したのです。家族の遺骨を檀家寺から教会の納骨堂へ移骨することにより、彼は檀家寺の法事や寄付依頼から自由になりました。家族の記念会は親族を招いて何回でも教会で行うことができます。こうして彼の家族は、強固な檀家制度から解放されました。教会が日本社会に土着するためには、このような静かな努力が必要なのでしょう。
若いクリスチャン・ホーム形成のために
クリスチャンは,どのような埋葬、納骨を希望するでしょうか。市町村などが提供する無宗教の墓園に家族墓地を購入する可能性と選択があります。しかし教会に納骨堂(室)があれば、墓地に関する一切の心配は不要です。数百万円もの墓地を購入する必要は無いのです。永年納骨料(ピスガでは10万円)だけで、管理料も不要です。
実は土浦めぐみ教会が納骨堂の建築を計画した時、青年層から納骨堂ではなく体育館を建築して欲しいと要望が出ました。しかし完成してすぐに、ある若者夫婦の最初の子が死産でした。もちろん若夫婦に家族墓地などありません。しかし教会に納骨堂があったので、教会の納骨堂が赤ちゃんの墓地になりました。その後転勤で地方に移りましたが、どこに転勤しようが、母教会に納骨堂があることが、大きな安心になっています。
信者と未信者の共通通過儀礼を豊かに
もし教会が未信者の葬儀や納骨をしないとするならば、私たちの未信者の家族は、どうなるのでしょう。そのような否定的姿勢は、まだ洗礼を受けていない家族の葬儀と納骨を仏式に追いやることになってしまいます。それは家族を分断することです。特に納骨の場合は、遺骨でもって家族を幾世代にわたって分断することになります。すべての人は神によって創造され、神の許しの中で生涯を終えるのであって、そのいのちの創造者の前に納骨で分けることはしない、と考えます。
反対に、もし教会の納骨堂に納骨できたなら、その家族の納骨は、その後に迎える多くの家族の死を教会が受け止める機会となります。そこには教会と家族の絆が生まれます。それは幾世代も続く絆です。私たちの教会では、かつて多くの未信者の方々の葬儀と納骨をして来ました。そして、そのようなご家族に対する神さまの祝福は顕著でした。
一時預かりの納骨スペースを!
土浦めぐみ教会では、境内地に余裕があったこともあり、納骨堂を建築しました。松原聖書教会は講壇後の洗礼層を改修して、ロッカー式の「満天」と名付けた美しい納骨室に改装されました。日本宣教あるいはキリスト教の土着化を考える時、終活から葬儀そして納骨から記念会にいたる、キリスト教葬制文化の創造が喫緊の課題だと痛感しています。