日本とアジアと世界に仕える Japan Alliance Christ Church
日本同盟基督教団 教団事務所 

戦後80 年から考える①

戦後80 年から考える①

和泉福音教会 教会員 川口 葉子

2025年、終戦から80年を迎えようとしています。私たちにとって、80年前の戦争とはどのようなものでしょうか。私たちの多くが生きてきたよりはるかに長い80年という時間を、どのように捉えればいいのだろうかと考えています。
過去を振り返るこの時、20年後に戦後100年を迎えることにも思いを向けてみたいと思います。100年を迎えるそのときに、私たちは何を残していけるのか、何をしてきたといえるのか。どのような世界で100年を迎えたいと願うのか。これまでの80年、そして20年後の未来を見据え、私たちの今あるところを確かめながら、続く戦後の歩みを進んでいきたいと願います。
これからの連載では特に戦時下の教会について見ていきますが、連載1回目の今回は、戦後、教会が表明した悔い改めから始めてみたいと思います。
戦後22年となる1967年、戦時下唯一のキリスト教団であった日本基督教団では、総会議長の名前で、「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白(」通称「戦争責任告白」)が発表されました。
それほど長くない文章ですが、戦時下の教団についてはたとえばこのように記されます。「しかるにわたくしどもは、教団の名において、あの戦争を是認し、支持し、その勝利のために祈り努めることを、内外にむかって声明いたしました。まことにわたくしどもの祖国が罪を犯したとき、わたくしどもの教会もまたその罪におちいりました。わたくしどもは「見張り」の使命をないがしろにいたしました。」
戦時下での教団成立に言及したこともあり、この告白には教団を二分するほどの反響がありました。主に若い世代の教師や信徒たちから歓迎された一方、否定的な意見も数多く寄せられ、特に当時の教団指導者や周辺の人たちが、再検討もしくは撤回を求めたといわれます。教団として行った神社参拝や国民儀礼、またアジアの国々に対して行った具体的内容もないものでしたが、宗教界で最も早い戦争責任についての表明でもあり、教会が悔い改めへと向かう動きの嚆矢(こうし)となるものでした。
その後、戦争責任についての諸教団からの告白や声明は、およそ30年後となる1995年、戦後50年の前後にピークを迎えます。世代が完全に入れ替わり、50年というのがよい節目だったからでしょう。日本が犯した罪とそれに追随した教会の姿、アジアの隣人への謝罪、そして教会が偶像崇拝の罪に陥り、アジア諸国にも神社参拝を強制したことなどが表されています。
私たち日本同盟基督教団も、1996年の横浜宣言でこのように宣言しました。「かえりみて、戦時下、特に「昭和15年戦争(1931-1945年)」の間、私たちの教団は、天皇を現人神とする国家神道を偶像問題として拒否できず、かえって国民儀礼として受け入れ、〔…〕十戒の第一戒と第二戒を守り抜くことができませんでした。さらに近隣諸国の諸教会と積極的に平和をつくり出す者として生きることができず、国家が推進した植民地支配や侵略戦争に加担し、アジア地域の侵略に協力しました。こうして神と隣人の前に、とりわけアジアの人々に、偶像礼拝の強要と侵略の罪を犯し、しかも戦後、この事実に気付かず、悔い改めに至ることもなく、無自覚なままその大半を過ごしました。」
日本同盟基督教団は戦後、12教会(1948年再建当時)から261教会となり、国内宣教、国外宣教と活発に活動がなされてきました。そのなかで、政治や社会の課題を信仰の問題として取り組む働きも続けられてきましたが、1989年2月には戦争責任フォーラムが開催され、戦時下の高山教会の週報を通して、教団の戦争責任が具体的なものとして明らかにされたことは、戦後における重要な過程です。教憲前文に、「過去の戦争協力と偶像礼拝の罪を悔い改め、世の終わりまでキリストへ信仰を堅持する。」とありますが、戦争の罪責を負う教団として、悔い改めと信仰に生きる決意が、戦後を通して深められてきたといえるでしょう。
改めて戦後80年を考えると、日本基督教団による最初の戦争責任告白からおよそ30年後に戦後50年、そこからさらに30年と見ることができます。世代が完全に入れ替わったのが戦後50年であれば、80年の今は、幼少期に戦争を経験した人さえ少なくなりました。戦争責任について深められてきた戦後50年を経て、今や歴史観も多様化し、共通の前提のもと意見を交わすことも、意見の一致を求めること、一致できると信じることすら難しい時代です。それは神を信じる信仰者であっても例外ではありません。
戦争の時代は過去のものとなり、社会は加速度的に変化しています。30年前、戦時下の教団の罪を自らの罪として告白したその言葉を、今私たちは、どれほどリアリティをもって自分のものとできるでしょうか。世代も時代も大きく隔たった世界で、自分とは関係がないと切り離すことは簡単です。しかし、いかに遠のいたとしても、教会が積極的に戦争に協力し、聖書をもってアジア諸国への侵略に賛成したことは、神社参拝の問題とあわせて、消えることがありません。それによって生じたアジアの方々の痛みは、時間が経過するなかで、もしかすると和らいでいくかもしれません。そのように忘れた方がいい歴史もあるでしょう。しかし、これらは忘れてはならない歴史です。
そして、戦時下の教会を知ることは私たちにとって、平和と和解の取り組みに至らせるだけでなく、時代の責任を負っていることを深く受け取り、日本においてクリスチャンとして生きることを考え、探られることでもあるのだと思います。戦時下の教会の問題は、今を生きる私の問題であり、教会の問題だからです。そのことを、戦後80年という節目に、この連載を通して考えていきたいと願っています。

 

Print Friendly, PDF & Email