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日本同盟基督教団 教団事務所 

戦後80 年から考える②日本基督教団への合同

戦後80 年から考える②

日本基督教団への合同

和泉福音教会 教会員 川口 葉子

ほぼすべてのプロテスタント教会がひとつの教団となった時代がありました。1941年6月に創立総会が行われ、日本基督教団が成立します。当時の信徒総数は24万人、今もプロテスタント最大の教団です。1937年7月の盧溝橋事件にはじまる大陸での戦争の広がりにより国内の戦時体制が強化され、さらに創立総会の半年後、12月8日には日米開戦に至る、そんな時代です。
1859年のプロテスタント宣教開始以来、30余りの教派がありましたが、聖公会など一部をのぞき、ほぼすべての教派が教団に合同しました。1891年から宣教を開始していた私たち同盟基督教団の前身、日本同盟基督協会も日本聖化基督教団を経て、そのまま第8部として加わります。部制といわれますが、あまりにも教会制度や歴史背景が異なる教派の合同であったため、信仰告白の一致を見ることができませんでした。それで、とりあえず教団のなかに11の部をつくって、類似した教派ごとにそこに所属する形とし、信仰告白の代わりにはごく短い「教義の大要」が置かれました。
日本基督教団は、戦時体制のなかでつくられた教団でした。初めての宗教法となる宗教団体法が1940年4月から施行され、教団の設立に文部大臣の認可が必要となりました。その年の6月、文部省が教団認可の基準(教会数50、信徒数5000)を通告、さらに8月末には、全教派合同が要望として文部省から各派責任者へ伝えられました。各派によって合同への意欲は様々でしたが、文部省の圧力と、また内在的な要因もあったとも言われますが、結果的に大合同へと向かうことになり、10月の皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会で「全基督教会の合同」を宣言します。初代統理者に選ばれた富田満は、この教団は従来の会議制でも監督制でもない、「統理制」だと自負しました。
戦時体制のなか、国策に沿う形で成立した日本基督教団は、当然のように国策の担い手となり、戦争遂行に協力します。皇軍必勝、大東亜建設のための必勝祈祷会を開催し、国民儀礼(宮城遥拝、国歌斉唱、勅語奉読など)を行うよう各教会に通達し、軍用機献納のために献金を募り、インドネシアでの宣撫工作に教師を派遣しました。出征する若者たちを、「弟よ、兄よ、その若き信仰の血を献げ、その純潔の血を流して呉れ」と激励して送り出しました。統理の富田は、伊勢神宮を参拝して新教団の発足を報告し、今後の発展を希願しました。文部省の指導下で行われた教師錬成会では、6日間にわたり、司法省や文部省の官僚、海軍大佐などにより、「日本古典について」「日本精神と基督教」「国体の本義」「大東亜新秩序論」などの講義がなされ、5日目には、靖国神社参拝も行われました。錬成とは、当時よく使われた用語ですが、錬磨育成の略で、皇国民としての精神を鍛えあげるということです。神社参拝、宮城遥拝がなされていたことも見られますが、当時政府によって、神社は宗教ではないとされ、神社参拝は国民としての務めに過ぎないとされていました。キリスト教界の大勢は、その詭弁を受け入れていたので、多くの信仰者にとって、参拝することは、キリスト教の神に対する宗教的な礼拝とは異なるもので、単に崇敬を表すものでした。
戦時下の教団は、キリストと天皇に仕えるものでした。創立総会では、「われら基督教信者であると同時に日本臣民であり、皇国に忠誠を尽すを以て第一とす」と宣誓しました。われらは神の支配下にあると同時に天皇の支配下にある、神の民であり同時に天皇の民であると、そして、天皇の国であるこの国に忠誠を尽くすと、教団の成立にあたって宣言したのです。
キリストと天皇というこの両面は、「日本基督教」をめざす動きにも表れています。戦争末期には「皇国基督教」ともいわれましたが、外国から入ってきたキリスト教としてではない、日本のキリスト教をめざす動きです。それは単に場所としての日本ということではなく、万世一系の天皇が統治する日本という国に根ざすキリスト教です。そのために教学研究所も設置されました。終戦間際に作成されていた「信仰問答稿」では、教団の本領について、「皇国の道に則りて、基督教立教の本義に基き国民を教化し以て皇運を扶翼し奉るにある」と、教団は天皇のために尽くすものであると表明しています。
もちろんこの時代のキリスト者たちの苦難、困難さを否定することはできません。キリスト教に対する敵国宗教としての疑惑の目が、彼らをさらに忠良な臣民へと向かわせたことも事実です。次回見ますが、キリスト教への弾圧もたびたび起こっていました。
それでもなお、キリストを主と信じ、告白することは、他のなにものの支配から、ただキリストの支配に移されることなのだと思います。自覚的に、無自覚的に、キリストと同時にほかの何かを主としてはいないか、キリスト教信仰をもって別の何かに仕えることになってはいないかと、戦時下の教会を見るときに深く問われます。政府が宗教ではないといったからと、教会としての判断を放棄して神社を参拝したことも覚えつつ、他のなにものも入り込ませることなく、ただキリストのみを礼拝するものでありたいのです。
だからこそ、私たちは神のことばに聞き続けたいと願います。「信仰と生活の唯一絶対の規範」である聖書に聞き続け、私たちの礼拝、祈り、交わりも、みことばによって確かにされながら、キリストのみに従うことを選び取るものでありたいと願っています。

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