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日本同盟基督教団 教団事務所 

愛の人 教育局局長 李相勲

愛の人

教育局局長 李相勲(高麗聖書教会牧師)

「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。」(Ⅰコリント13章4節)

この春、子どもたちの春休みに合わせ、パンデミック以降、久しぶりに家族皆で休暇をとっていました。少し前からお金を貯め、バランスよく行程を立てました。私たち家族は6人なので、節約のため、車で移動するとか、子どもが喜ぶ場所や人に会いに行こうとか、西宮の義姉の家に寝泊まりするとか、贅沢なものではありませんでしたが、計画し、待ちに待った休暇でした。会いたかった方を訪問するため、西は広島まで足を伸ばすことにしました。
ところが広島で、これから市内観光をという時に、韓国の姉から長兄が危篤だという連絡が入りました。兄は若い頃から慢性腎不全で、移植や透析のため、30年程入退院を繰り返していました。このような時がいつかは来ると思っていましたが、急で、予想もしなかったタイミングで、大変動揺しました。待ち望んだ家族の時間でしたが、パスポート期限が切れている子もいて、韓国には私ひとりが向かうことになりました。妻はどうすればいち早く韓国に私が着くかを考え、迷いもなく旅先から私を送り出してくれました。広島から新幹線に飛び乗って埼玉の自宅に戻り、パスポートをとり、成田から出国しました。その状況を妻が役員会へ簡単に状況をメッセージで報告してくれたのですが、その文章に涙しました。「先ほど、牧師の釜山の兄が危篤状態であると連絡がありました。留守が多い父親の代わりによく世話をしてくれ、愛してくれた兄です」。本当にそのような愛を表してくれた優しい、朗らかな人だったからです。
私の父は、昔から家族にとって溜め息をつくような、人を困らせる、痛い存在で、私は父のことで悩んだり、苦しくなったりしたことは、若い頃は多々ありましたが、近年はありませんでした。それは、兄が防波堤のように全ての波を受けていたからでした。私は日本で、遠く離れているからということで、兄の苦労を知りながらも、無傷で過ごしていました。
私が韓国に戻った3日後に兄は61歳で召されました。3日間の葬儀を執り行ったあと、疲れが出て、高熱を出してしまったのですが、年老いても健在な父の世話は待ったなしにやってきました。銀行など役所の手続き、兄を失った感情を受け止める役、等々。兄が今までやってきたことの意味を悟りました。体が不調でも、父を受け止めるのは兄の日常であったたこと、死の直前まで、家族のために、教会のために、防波堤として立ち続け、長男の務めを果たし続けていたこと…
私は親からの愛は十分受けずに育ったのですが、主は、兄を与えてくださり、愛とは何なのか、寛容とは、親切とは…を彼の人生を通して見せてくださいました。
皆さんの周りには、「愛の人」が存在するでしょうか。親であったり、友であったり、師であったり、さまざまでしょう。主は、イエスさまに似た存在を私たちの周りに置き、主がどのような方であるか、見せてくださり、私たちが愛されることを通して、次は私たちも人々を愛し、神の愛を表していくことができるようにと、してくださっています。
まだまだ私も「愛の人」には程遠いのですが、生が与えられている間、励んでいきたいと願います。そして、愛されることが必要な方々のもとへ神さまの本当の愛が届けられ、福音が届けられ、1人でも永遠のいのちを得る人が起こされますよう、祈ります。

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