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日本同盟基督教団 教団事務所 

認知症と教会 Vol.7

認知症と教会 Vol.7

〜想像力と伴走力〜

東京基督教大学 教授 井上貴詞(土浦めぐみ教会教会員)

認知症の人のなじみの環境・習慣・人間関係を急変させない事は肝心です。周囲の理解とサポートがあれば、なじみの教会という環境は落ち着ける場所になります。
とはいえ、教会生活の中で突然不穏な状態が出現する事もあります。主日の高齢会員の送迎奉仕時に買い物をちょっとお手伝いした奉仕者が、物盗られ妄想のターゲットになってしまった例で考えてみます。ちなみに、高齢者の妄想は認知症以外の疾患や社会的孤立、過去のトラウマが引き金になることもあります。
信仰の大先輩から突然疑いの目を向けられたら、だれでもショックで悲嘆に暮れます。しかし、「私はそんな事をしない!」と感情と正論で説得するのは逆効果。相手は突き放されたと思い、ますます疑ってきます。妄想に至った本人は、「何かがおかしい」「しっかりしている自分を取り戻そう」と懸命なのに財布が見つからないのです。相手は、絶壁の崖から転がり落ちるくらいに切羽詰まっていると想像してみましょう。実のところ、そうした被害妄想は身近で頼りにしている家族やヘルパーに向けられるものです。大変気分を害する事態ですが、妄想のターゲットになった奉仕者はある意味「身近で頼れる家族同様の存在になった証し」という見方もできるわけです。
対応の基本は、「心配ですね」「困りましたね」と否定せずに冷静に受け止め、「何を買おうとされていたのですか」など話をしながら、また一緒に祈りながら紛失物を探してみることです。「一ミリオン行くように強いる者には一緒に二ミリオン」という信仰が磨かれる訓練の機会ともいえます。そして、見つかったら一緒に喜びましょう。今後の紛失予防対策を一緒に考える事もお忘れなく!たとえ、その場で見つからなかったとしても、一緒の気持ちになって伴走する事で「この人が盗んだのでは?」という疑いと不快感が残る確率は低くなります。それでも、もし奉仕者が苦い経験をしたならば、それはその何十倍ものストレスを24時間抱える同居家族の気持ちに共感できる糧を得たと考えましょう。さらに、専門医療機関を未受診であれば、受診できるように家族やケアマネジャーと連携する事もお勧めします。
また、男性奉仕者が女性の高齢会員をご自宅まで送迎したら、自宅にいた夫から嫉妬妄想のターゲットにされてしまったという例もあります。超高齢者であっても、基本は同性奉仕者がベター。そして、孤立感、不安感、葛藤や負担感を表出する同居家族がおられたら、ねぎらいの気持ちを示し、先入観や判断は一度脇におき、悩みを傾聴しましょう。
認知症の人は、記憶や言語能力、様々な実行機能が欠損しても「周囲に迷惑をかけたくない」「役に立ちたい」「惨めな思いをしたくない」と一心ですが、それでも現実の世界とミスマッチして混乱に陥ります。もし、私たちが突然言語も文化も時代も全く異なる環境に放り込まれたら同様になるはずです。認知症の人の世界をいかに想像し、共感し、伴走できるかが奉仕者の平常心・平安を保つ鍵となります。正論をぶつけるのでなく、愛をもってその人の困惑した心境を想像し、相手に寄り添う。存在しない偶像に献げた肉を食べる事に躊躇せずとも、相手への思いやりから「決して肉を食べません」と宣言したパウロの愛の原則から学びたいものです(Ⅰコリント8章、ローマ14章)。

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