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戦後80年から考えるキリスト教弾圧 ③

戦後80年から考えるキリスト教弾圧 ③

和泉福音教会 教会員 川口 葉子

80年前の戦時下は、キリスト教にとって苦難の時代でした。キリスト教は敵国宗教であり、国家は忠誠を表明するキリスト教を信用しませんでした。特別高等警察(特高)が牧師や信徒の動向を監視し、宣教師たちは本国へ帰国させられ、1940年には救世軍の幹部がスパイ容疑で取り調べられた事件も起こりました。
キリスト教主義学校も困難のなかに置かれました。上智大学では1932年、陸軍の配属将校が靖国神社参拝のために学生を引率した際、数名のクリスチャン学生が参拝を拒否したことがカトリック教会を巻き込んだ大きな問題となりました。1935年には同志社高等商業学校で学生が武道場に神棚を設置し、それを校長が説得して取り下げさせたことが軍部によって問題とされました。立教学院は1942年、「基督教主義による教育」から、「皇国の道による教育」へと寄付行為を変更し、チャペルを閉鎖しました。キリスト教主義を断念し、天皇のための教育を行う機関となったのです。これも文部省からの強い圧力によるものでした。
そして、キリスト教団体への直接的な弾圧も起こりました。治安維持法によるもので、耶蘇基督之新約教会、ホーリネス、セブンスデー・アドベンチストなどに対して向けられました。十数人から、多いところは百名以上の教師たちが検挙され、いずれも活動は壊滅状態になりました。治安維持法以外でも、反戦や不敬などで検挙された人たちもいました。
治安維持法で問題となったのは、まず「再臨」に関する教義です。再臨は、終末に必ず起こるものとしてイエス・キリストご自身が語ったものですが、それが実際に地上に起こると信じることが、、「国体を否定」するものとされました。次に「神」に関する教義、これは神社や神宮などの参拝を拒否することが問題とされたのですが、それは「神宮の尊厳を冒瀆」するものとされました。これらによって、治安維持法違反として取締りを受けたのです。
「国体」とは、今となっては捉えることが難しいことばなのですが、天皇中心的な国家体制を指すものとして使われました。文部省による『国体の本義』(1937年)に、「大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が万古不易の国体である」とあるように、天照大神の子孫である万世一系の天皇が永久に統治することです。それに反するような思想や学問、宗教などは認められませんでした。
その国体を否定するものとして「再臨」が問題となったのは、天皇の統治が終わる教義とされたからです。キリストがやがて再臨し、地上に神の国を樹立する際、日本を含む地上の国家組織がすべて撃滅されたり、統治権が摂取されたりする。そのとき、永遠に続くべき天皇の統治も終わると、彼らのもっている「再臨」の教義はそういうものであると捉えられたのです。
1942年のホーリネス弾圧は、この再臨の教義によって、、国体の否定とみなされたことが理由で行われました。現在の日本ホーリネス教団、イムマヌエル綜合伝道団、基督兄弟団などにつながるグループです。彼らは弾圧を受けたなかでは唯一日本基督教団に属していて、また検挙された人数としても、キリスト教では最大規模でした。
6月26日早朝、各地の特高が96名の教師たちを連行しました。その後も何度か追検挙が行われ、合計134名の教師たちが検挙されました。長く拘留され、シラミやノミ、南京虫、暑さと寒さに悩まされ、粗末な食事により極度に衰弱した人もありました。75名が起訴され、多くは執行猶予つきの判決を受けましたが、指導者格のなかには2~4年の実刑を受けた者もいます。牧師を失った教会は礼拝をすることができなくなり、家族の生活も困窮し、妻や子どものうちには病気になり、亡くなった方もいました。病気などにより、4人の牧師が獄死したと言われます。
翌年4月、ホーリネスの教会は文部省などから解散を命じられ、249の教会が解散させられました。日本基督教団も、文部省の意向により教師たちに辞任を強要しました。起訴猶予や執行猶予となった教師たちも、牧師としての働きはできず、工場などで働いた人もいました。戦後同盟基督教団に加入する安藤仲市師も赴任していた神田教会で検挙され、病気により起訴猶予となったあとは工場で働いたといいます。
ホーリネスが検挙され、その再臨の教義が治安維持法上の問題とされたのは、彼らが現実に起こることとしてそれを捉えていたからです。日本基督教団の多くは、再臨は精神的・霊的なものであって、現実の世界とは関わりがないものと捉えました。それが、国家が認めうるキリスト再臨のあり方でした。そうであれば、地上の国家が終わることもなく、天皇の統治とも関係がないからです。しかしホーリネスは、聖書のことばをそのまま現実に実現するものと捉えていたため、弾圧に至ったのです。
天皇が絶対的な存在とされ、その下で国家が宗教の良し悪しを決めていくような時代には、、神のことばをそのまま信じ、信じた通りに生きることは許されませんでした。戦後、憲法も変わり、社会体制も大きく変わりましたが、今も国家や社会に危うさが見え隠れしています。私たちがキリストにあって流されることなく、倒されることなく、信仰を告白し続けるために、歴史に学び、今この時代を見極め、時には声を上げることが大切なのだと思います。神のことばのみに従い、神のことばに聴く礼拝を真剣にささげながら、ただキリストだけが主ですと告白し続けていきましょう。

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