【ITしてますか?みなさん、こんにちは。IT委員会の後藤正樹です。世の光4月号ではアンケートにご協力いただきありがとうございました。そのアンケートの中で人気だったトピックをヲタクな先生方に語っていただきます!今回は、IT委員会のメンバーであり、「wifiキング」全志碩先生です!よろしくお願いいたします!】
はい!こちらこそよろしくお願いいたします。今月から教会ITについてのさまざまなトピックで連載を行います。教団内にはITを教会形成にうまく活用されている先生方がいらして、その知恵を分かち合うことで、教団全体でのスキルアップができればと期待しています。
最初の連載は古くて新しい問題をテーマに選びました。それは「教会音響」についてです。とりわけ、礼拝における音響の重要性について考察します。
「音」の重要性については聖書自身が物語っています。「光、あれ。」(創世記1章3節)と仰せられた神さまのことばによって天と地は形作られましたが、それは書かれたことばであるよりは「発せられたことば」ではないでしょうか。「黙れ、静まれ」(マルコ4章39節)とイエスさまがことばに発せられたとき、風は従いました。「信仰は聞くことから始まります」(ローマ10章17節)とパウロが語っているように、福音のことばは音を通して伝えられ、奇跡を起こし、魂を救いに導いてきたのです。
教会は、神さまのことばをどのように音として伝えるか常に悩みながら解決策を見出してきました。小規模の集いでは肉声で十分でした。教会堂で集うようになり、肉声では届かなくなってしまいました。そのために、音を増幅させる方法として「反響」をうまく用いた会堂作りがなされてきました。近年は、マイクとアンプとスピーカーの組み合わせによって音の増幅を容易にし、加えて、多様な楽器の使用によって複雑化した音響のニーズに対応するため、反響を極力抑えた音作りが理想とされています。教会における音響は、時代ごとに新しいチャレンジを受け、それを新しい技術で乗り越えることで発展してきたと言えます。
ただ、どんなに技術の進歩があったとしても、それをうまく活用できなければ意味がありません。一番大きな問題は、説教者の情報伝達プロセスに対する理解不足です。(図「劣悪な情報伝達プロセス」)語られる内容が大事であることは言うまでもありませんが、それを聴者までしっかり届けることも説教者のもう1つの大切な働きであることを忘れてはなりません。考えてみてください。話者の思考が空気の振動に変換され、数十メートルを移動して聴者の耳に届けられることで共有されます。このような一連の情報伝達プロセスにおいて最も大きな情報の損失は空気中を移動する時に起こります。音量不足、残響の混入、音の途切れ、ノイズ混入、音の衰退など、さまざまな要因によって情報が正しく聴者に届けられることが阻まれます。劣悪な教会音響では「説教がよく聞こえない」「賛美がうるさい」など、礼拝を通して神さまに集中することを妨害する原因になってしまいます。
それでは、どのような教会音響がふさわしいのでしょうか。機材はどれを選び、どのようなセッティングをすれば良いでしょうか。教会音響の具体的な提案は来月の記事でご紹介します。