みことばを行う人になりなさい。
自分を欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけません。ヤコブの手紙1章22節
聖書神学舎は、聖書は誤りのない神のことばであるという信仰の告白に堅く立ち、キリストの教会のわざとして、神学教育を行っています。この告白が確かであるということは、学び舎で研修生活を送り、その学びと訓練にあずかることをとおして自ずと実感できることと思います。しかし、それは時間を要することであるということもまた事実です。聖書を理解するために、神学舎ではギリシャ語、ヘブル語、アラム語の原語テキストから直接学ぶことを重視しています。そのために多くの時間が原語の学びに当てられ、研修生活の当初においては戸惑うこともあるかもしれません。
しかし、その目標とするところは決して単なる言語の習得ではありません。目指しているのは、聖書そのものに聞く力を養うことです。教会の告白する信仰箇条はすべて聖書に基づいています。したがって信仰告白に堅く立ち続けるためには、聖書を正しく理解する力がどうしても必要になります。揺れ動く思想に翻弄されやすい弱さを持つ私たちが、決して揺るがない信仰に堅く立ち続けるためには、みことばそのものを学び続けなければならないのです。生涯にわたって堅実に主に仕え続けることのために、神学舎ではその基礎となる聖書信仰を養うことを大切にしています。
しかしまた、それを単なる机上の空論に終わらせてしまってはなりません。ただ聞くだけの者であってはならないのです。ヤコブが指摘するように、私たちは「みことばを行う人」であるべきです。学んだみことばに、実際に生きることが大切です。聖書神学舎において寮生活を必須としているのはそのためです。ともに生きる生活をとおして、主に教えられ、変えられ続けていく恵みに与ることができるようにと願います。そのような聖書神学舎の働きを覚えて、以下の祈祷課題を参考にお祈りいただければ幸いです。
• 聖書信仰に堅く立って福音を語り、神の教会を建て上げる伝道者を訓練して送り出す務めを、しっかりと果たせるように。
• 全寮制の全人格教育を大切にして、主の御用に間に合う、練られた器を輩出し続けることができるように。
• 教師、職員の世代交代が主に導かれ、また、人材、経済その他すべての必要が満たされるように。