「こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地にわたり築き上げられて平安を得た。主を恐れ、聖霊に励まされて前進し続け、信者の数が増えていった。」使徒の働き9章31節
私たちの教団は2006年から「宣教区制」が始まりました。それ以前より教団理事会では「『宣教協力』理念」が何度も審議され、整えられてきました。毎年の教団総会資料の巻末に記載されていますが、3「宣教の理念」には「宣教の主体は三一の神であり、宣教の原動力は聖霊である。宣教の担い手は、教団と宣教区と所属教会であり、宣教の各分野において、ふさわしく持ち分を担う」と本質的な確認がされています。宣教の主体は、私たちではなく、三位一体の神様であられる。その神さまの進めておられる働きに、私たちは聖霊に励まされ、強められて仕えさせていただける。それが宣教であるというのです。この意味をよく思い巡らすとき、福音宣教に仕えることができるのは、とても光栄なことであることに改めて気づかされます。
信仰を与えられて時間が経つと、いつしか自分の信仰を守ることだけに、また、今の教会の歩みが維持されることだけに思いが向けられ、そこに平安を見ようとすることがあります。しかし、この31節から教えられるのは、教会の平安とは現状維持ではなく、聖霊に励まされて、イエスの御名によって大胆に福音を語るところにある、ということです。福音は、エルサレムの一点に留まらず、離れた地域の人々にも伝えられ、各地に教会が築き上げられていったからです。
使徒の働き9章前半の場面で、聖霊なる神さまは、サウロの回心のために、アナニアを用いられ(9章10〜18節)、さらにイエスさまの御名が力強く証しされるために、バルナバをとりなし手として用いられました(9章27〜28節)。彼らが自分の思いにとどまり縮こまっていったならば、この31節の景色はなかったと思います。しかし、彼らは自分の思いにとどまるのをやめて、躊躇し、難しさを覚えつつもイエスさまのことばとみこころに従って仕えました。さかのぼれば7章でユダヤのサンヘドリンに福音を伝えたステパノも、8章で御霊に導かれてサマリア、ガザ、カエサリア伝道に出て行ったピリポも、現状維持を後にして主に仕えました。そのような聖徒たちの献身を用いて聖霊なる神さまは、福音の広がることを導かれたのです。
誰かが、私たちの回心のために、アナニアのように語りかけ、バルナバのようにとりなしてくださいました。その背後に神さまの働きかけがありました。何より、私たちをお救い下さるため、現状維持の壁を打ち破ってこの世に来てくださった主の恵みを覚えつつ、聖霊に励まされて私たちも失われた方々のアナニア、バルナバとならせていただきましょう。主の進めておられる国内宣教の働きに、あなたも祈りと献げものをもってお仕えすることができるのです。