和泉福音教会牧師
東京基督教大学非常勤講師
お茶の水聖書学院講師
聖書神学舎講師
青木 義紀
 編集担当者から今回の原稿依頼が届いた際、このシリーズが終了になるとの連絡がありました。そのような事情のため、突然ですが、今回が最終回になります。最後にどんな内容を書こうかとあれこれ悩みましたが、最後は、私自身のキリスト教史に対する思いや考えを記して閉幕としようと思います。
私自身がキリスト教史に関心を持ったのは、大学在学中の時でした。神学部で聖書や神学を学ぶ中で、キリスト教史の授業に、ほかの課目や授業にはない独特の魅力と、歴史を学ぶことによって他の科目同士の関連やつながりが見えてくるような経験をしました。またとくに当時は、歴史神学を担当する教員が学内に3人もいて、それぞれの先生方の魅力にもすっかり惹きつけられてしまいました。
当時、福音派の教会で短いながらに信仰生活を送ってきて感じたことは、聖書神学、組織神学(教義学)、実践神学に関することを教会で聞くことはあっても、歴史神学について聞くことはほとんどないということでした(そうではない教会も実際にはありますが……)。歴史を学ぶことで、より深く聖書が理解でき、より広く信仰の世界が広がるということがあるのではないか。直観的にそんなことを感じて、歴史を学ぶことに力を入れていきました。
学び進めていく中で実感したのは、歴史の中には、実に多くの信仰の実例があるということでした。聖書学を通して、みことばが何を語っているかを私たちは学びます。では実際にそのみことばに生きたらどうなるか。その具体的・実際的な答えが歴史の中にあるのです。しかもその答えは一つではありません。人が違い、環境が異なり、時代が変われば、そこで実現する現実も異なります。そのような数々の歴史の実例から学びつつ、では、今このときに自分はどう生きるのかを問われることになります。そして、そこで信仰に生きる自分の歩みもまた、一つの歴史となって後の世代の信仰者に一つの実例を差し出すことにもなるのです。教会は、そのような信仰の連なりの中で、歴史を生き抜いてきました。そこに自分も加えられていることの恵みの大きさを、私は歴史を学ぶことで実感しました。そして歴史を学んだ者として、今度はこの喜びと恵みの経験を、ぜひ一人でも多くの人に味わってもらいたいと思い、歴史の学びのお手伝いをさせていただいています。
今回、「キリスト教史ぶらり旅」と題して、大学や神学校とは異なるかたちで、同盟基督教団の信徒の皆さんに、キリスト教の歴史を味わってもらう企画を行わせていただきました。それは、皆さんに少しでも、歴史がもたらす益にあずかってもらえたらと思ってのことでした。こちらの願ったことがどれだけ皆さんにお届けできたかはわかりません。ただ少しでも歴史が身近になってもらえたら、そしてそこからほんの少しでも何かを得ていただけたら、これにまさる喜びはありません。お付き合いいただいた読者の皆さんと、編集担当の先生方に心から感謝をしております。
2018年に始まった本連載ですが、不定期とはいえ7年間にわたり11回も執筆の機会をいただきました。大変ありがたく思っています。途中、筆者の持病の悪化で1年間執筆が途絶えた時期がありました。その期間、諸教会の皆さんには緊急の祈祷課題としてお祈りいただいたことを深く感謝しております。また他の教会で奉仕させていただいた際には、何人かの方から「いつも連載を読んでいます」というれしいことばも掛けていただきました。決して万人受けするわけではないキリスト教史の読み物ですが、このような読者がいてくださったことに大いに励まされました。この場を借りて深くお礼申し上げます。同盟基督教団の諸教会と、そこに連なるお一人お一人の上に、歴史を貫いて働かれる三位一体の主の豊かな恵みと守りがありますよう、心よりお祈りいたします。