日本とアジアと世界に仕える Japan Alliance Christ Church
日本同盟基督教団 教団事務所 
Tel.03(3465)2194

聖書と古代オリエント(最終回)

聖書と古代オリエント

第17 回(最終回)「あなたは祝福となりなさい」

朝霞聖書教会 牧師/聖書神学舎[ 宣教会] 教師 田村 将

 主はアブラムに言われた。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、
わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、
あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。」
創世記12章1-2節

 これは言わずと知れたアブラハム召命の際の主のことばです。この場面で主は、2つの命令を発しています。1つ目は、わたしが示す地へ「行きなさい」という命令。2つ目は「あなたは祝福となりなさい」という命令です。
最初の命令は、さながら辞令のようにして提示されたものでした。自分のこれまでの所属の一切を置いて、主の命令に従う信仰が求められていました。主は決して悪いようにはなさらない。しかし、心のどこかで「本当にそうだろうか」との疑いがよぎります。主の最善への信頼が問われるのです。主と出会って間もないアブラムにとっては、とりわけ大きなチャレンジだったことでしょう。慣れ親しんだ愛する人々と土地を離れて行くことは誰にとっても辛いことです。しかし主は時としてこのような決断を人に迫ることがあるように思います。「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」(伝道者3:11)心からそう告白できるかどうか。信仰の内実が問われているのです。
それにしても、もしこの第1の命令だけであったなら、果たしてアブラムは素直に応答することができたのだろうか。あらぬ疑問が生じます。もちろん歴史に「もし」は禁物ですが、信仰の父アブラハムとて一歩を踏み出すことができなかったのではないか、などと想像してしま
います。
しかし、幸いにして主の命令には後段がありました。「あなたは祝福となりなさい」という命令です。表現の仕方こそ命令形ですが、これはどちらかといえば神からのエールのような意味合いを帯びた呼びかけです。「あなたは祝福であれ」という具合に、信仰の旅立ちを躊躇(ちょうちょ)する者の背中を押してくれることばです。神は命ずるだけでなく、励まし押し出してくださるお方なのです。そして個人の信仰の決断が、神の大きな救いのご計画につながっている事を示してくださるのです。その救いのご計画とは、地のすべての部族が「あなたによって祝福される 」(創世記12:3)というものです。アブラハムとその子孫にだけではない、この世のすべての人のための救いが用意されている。神の激励はその事実に信仰者の目を開かせるのです。
あまりにも小さいと感じられる自分の存在があります。そんな自分の小さな決断など何になるのか。そう思う個人の限界を吹き飛ばすほどに大きな神の救いのご計画をアブラムは示されました。そしてちっぽけな存在と思われた一個人を、神は尊くお用いになられました。時至って「アブラハムへの祝福がキリスト・イエスによって異邦人に」 (ガラテヤ3:14)及んだのです。
「あなたは祝福となりなさい」。神は私たちにもそのようにお語りになられます。神の救いのご計画の中で、豊かに実を結ぶものとされるため、私たちもそれぞれに主の付託に応えたいものです。そうして、主の救いのご計画がますます前進するものでありますように。このことのゆえに、まことに「主があなたを祝福し、あなたを守られますように。」(民数記6:24)

Print Friendly, PDF & Email