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認知症と教会Vol.9 介護者家族へのサポート

認知症と教会Vol.9

介護者家族へのサポート

東京基督教大学教授 井上貴詞(土浦めぐみ教会教会員)

冬学期の始まりのクラスで『明日の記憶』という映画を神学生と鑑賞しました。渡辺謙さんの演ずる広告代理店のやり手営業部長の主人公は、49歳で若年性アルツハイマー型認知症になり、絶望の淵に叩きのめされます。キリスト教映画ではないのですが、陶芸制作が織り込まれたこの作品は、「土の器」である人の脆さ・弱さと家族であっても「共にいる」ことの困難と尊さをリアルに描き出しており、聖書的モチーフを感じさせるお薦めの映画です。この連載も一区切りとなりますので今回は認知症の人を介護する家族のサポートに焦点をあてます。認知症者の介護者家族には多くの苦悩があります。
①24時間休まる時がなく疲労困憊と抑うつ状態に陥る。
②同居する家族がいても1人に介護負担が集中して家族も分断され、成長過程の子どもがいればその渦に巻き込まれて家庭生活が混乱する。
③先行きの見えない大きな不安とストレスでまるで出口のない真っ暗なトンネルに迷い込んだような感覚に悲嘆する。
④認知症の人の「ご飯を食べさせてくれない」等の訴えを真に受けた別居の親類から介護者が責め立てられ孤立無援になる、などです。
かつて立派で尊敬の対象であった親や配偶者のイメージが崩れた時のギャップ、また「存在するが元の姿でない」というあいまいな喪失が介護者家族のメンタルに深刻なダメージを与えることもあります。
神の家族である教会は、このような介護者家族にどのようなサポートができるでしょうか。聖書は支援が必要になった肉親の世話をしないことは信仰の否定になるとまで教えていますが、同時に初代教会の時代にも何らかの高齢者サポートシステムがあったことも示唆しています(Ⅰテモテ5章3節〜16節)。5章3節の「大事にしなさい」とは、敬愛を示すことであり、「敬虔」とも同語源です。神への信仰と家族への具体的な世話は切り離すことができません。だれもが介護に直面する時代、介護の基本と実際を学んでおくことはもはやクリスチャンとしてのエチケットでしょう。とはいえ、1人で介護を抱え込まない事も大切です。30数年間様々な介護のかたちを拝見したのですが、初めから介護を拒否するか、他の人の助けの手も払いのけるほどに抱え込んでしまうかの二極化パターンが多い印象があります。どちらも何かに執着があるという点では同根ですが、一人ひとりの家族の歴史やかたちは複雑多様ですので安易な批判は禁物です。
他の人の手を借りることは恥ではありません。教会の介護経験者からの助言を受け、具体的な支援を受けることは健全な介護関係を保つためにむしろ必要です。逆に助言をする立場の方は、自分の経験ややり方を押し付けず、まずは介護者家族の思いをしっかりと傾聴し、ねぎらう事が肝要です。多くの誤解と偏見で家族も傷ついています。同居・別居でかかわるそれぞれの家族の思いには相違も生じます。牧師や教会員が上手にその仲立ちができるなら大きな助けです。
クリスチャンでないヘルパーや介護事業所の援助を受けることに罪意識を覚える方もいますが、神のめぐみはクリスチャンでない方々にも注がれ、役割を与えています(ローマ13章4節、6節)。クリスチャンが自分の弱さや限界を露わにすることは、かえって未信者への共感となり、弱さの中に現れる神のみわざを証しする機会にもなります。現在介護に直面している方は、その経験が将来他の人の助けとなる神のご計画にあると意味を見出すこともできます。長いトンネルを潜り抜けた経験は、渦中にある人に希望の光を照らす明かりにもなるのです。

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