「社会厚生部というのは、牧師に関することだけ扱うのですか」
このようなご質問を受けることがあります。自然災害や新型コロナウイルスなどに直面している昨今、厚生に関するようなことで、教会が抱える課題は広がるばかりです。
けれども、教会が社会のニーズや要請のままに働きを拡大していたら、本来の使命である福音宣教ができなくなってしまいます。半面、教会が内部だけをみて活動していたら、愛から離れてしまうことが危惧されます。(黙示録2章4節)
良き隣人であるため
主イエスは、「私の隣人とは誰ですか」と問う人に、良いサマリヤ人のたとえを語られました。(ルカ10章30節)ここに示された愛はヒューマニズムによるものではなく、私の罪のため死んでよみがえられたキリストの愛そのものです。
この愛が実践されるには、教会の中で一人ひとりの信仰が育成され、整えられていく必要があります。神の愛は教会を通してあかしされます。牧師はその中心的な役割を担っているので、その家族が生活面で支えられていなければなりません。牧師が経済面で行き詰まったり、厚生面で弱かったりすると、教会はいつの間にか活力を失い、教会の成長を阻害することに繋がります。なぜなら、私たちはキリストの体として互いに有機的につながっているからです。
社会厚生部の働き
社会厚生部の働きは、教会間で教職の厚生を支えることに重点が置かれてきました。また、必要に応じて自然災害などに対応することがあります。実際の活動では、理事会の要請を受けて動くものと、教団規則に基づいて事務所と連携して運営するものがあります。前者は災害に関することなど、急を要するものです。後者にあるのは教職福祉資金、引退教師生活互助資金、団体保険、互助会などです。社会保険は加入を強く推奨していますが、加入手続きについては各教会に任されています。
その他の働きとして、引退教師の訪問、研修会でのしゃべり場カフェの企画、本紙による病気療養中の先生方の周知などがあります。
キリストの愛によって
主イエスのたとえでの旅人は、祭司とレビ人に無視されてしまいましたが、サマリヤ人によって受け止められます。「近寄って、傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで包帯をし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行って介抱した」(ルカ10章34節)。その痛みを知る心が、このような愛にあふれた行動を促しました。教会の愛は、主イエスが痛みを知ってくださったことが出発点です。その愛の広がりの中で、教職者の厚生を覚えてください。しかし支えることには限界があるかもしれません。現在の厚生部の働きも、長期的には予算不足が見込まれます。それでも主の愛のうちに働きが守られることを信じています。特に病んでおられる先生方のため、お祈りください。