みなさんは、先週の礼拝でどのようなみことばが語られたか覚えていますか?
アンケートからは、牧師はみことばの取り次ぎに心を砕いていますが、それだけではひとりひとりが生きた信仰をもってこの世界で生きていくのは難しいと考えていることがうかがえました。
◆みことばを生活の中で
信仰が成長するためには、ただ聞くだけでなく、聞いたみことばが生活と結びつく必要があります。もちろん、みことばと生活、みことばと生き方を結び付けてくださるのは聖霊です。聖霊の助けによって、みことばを実際の生活で深く味わうこと、神さまが私の人生とこの世界で生きて働いておられることを体験することが大切です。
けれども、ひとりだけではなかなか気づけないことも多いものです。私たちには教会の交わりと分かち合いが必要です。聖霊の助けによって、教会の交わりの中でみことばを分かち合うことができます。
◆みことばの分かち合い
では、聞いたみことばを教会の中でどのように分かち合うことができるでしょうか。アンケート結果から、礼拝後に小グループに分かれて、その日の礼拝メッセージから教えられたことを分かち合う教会があることがわかりました。
また、成人科のある教会では、教理の学び、テキストを用いた学びとともに、礼拝メッセージや日々のディボーションの分かち合いが行われていることがわかりました。
筆者の仕える教会でも昨年はじめてみました。最初はなかなか思うように話せないものです。そんな時も、他の人の発言から教えられることも多いです。分かち合いのためには、グループリーダーを立ててよく準備すること、簡単なルールを決めること(聖霊の導きを求めて祈って始める、発言への批判はしない、発言はパスしてもいい、分かち合われたことは本人の許可なしでは他では話さない、など)が、安心できる分かち合いの場をつくるための助けになりました。
◆ともに食卓を囲む
みなさんの教会には、ともに食卓を囲む場はあるでしょうか。毎週礼拝後に食事をする教会、年に何度か愛餐会をする教会、平日の集まりでも共に食卓を囲む教会もあります。中高生に関するアンケートでは、多くの教会が、教会学校以外の時間にも、中高生だけの食事の交わりをもっていることがわかりました。
イエスさまは食事を共にしながらの交わりを大切にされました。また、使徒の働き2章46〜47節に「家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し」と記されているように、初代の教会には、いつも家々での食事の交わり、賛美がありました。そうしなければならないからではなく、聖霊のお働きによって、そうしたいと思うようになったのです。
私たちもぜひ、いっしょに食事をしながらの交わりの大切さを見直しましょう。共に食べることはひとりひとりの心が開かれ、予想もしなかったような深い交わりにつながることもあります。
また、寝食をともにするクリスチャンキャンプへの参加も、各個教会を超えた他のクリスチャンとの交わりを深めるために有益です。
このように、分かち合いの場は、クリスチャンの生活になくてはならない大切なものです。私たちにはひとりひとり弱さも欠けもあります。その弱さや欠けを分かち合っても大丈夫な場を築いていきたいですね。
※この連載はコロナ禍に直面する以前に出された「現状と提言」に基づいて書かれたものです。今はコロナ対策のため、食事の交わりや分かち合いにも制限がある状態ですが、豊かな交わりと分かち合いの回復のために、主がそれぞれの教会にふさわしいあり方を示してくださいますように。