「祭りもすでに半ばになったころ、イエスは宮に上って教え始められた。」ヨハネ7章14節
私が同盟基督教団の大会に初めて参加したのは、1984年 7月に軽井沢で行われた国外宣教20周年記念大会でした。大学 4年生で卒業後は、東京基督教短期大学へ行くと心に決めていました。そのころは多磨教会にも神学生が毎週来られており、私も神学校の行事があると自転車でよく行っていたので、その大会に来ていた専攻科の人たちも知っていました。中学生の終わりから教会に通い始め、高校 1年生で受洗をしましたので、高校生の時には「基督」の読み方を知らず、廣田先生に教えてもらって読めるようになった教団の名前でした。それでも同盟基督教団は身近な存在でした。
そういう私でも、こんなにたくさんの同盟基督教団の人たちと過ごすのは初めてでした。スモールグループが企画され、これまで遠目に輝いて見えていた宣教師の先生方とも親しく話もできました。また集会では、岡村又男先生と吉持章先生が説教をされ、その圧倒的な情熱にイザヤ書とエレミヤ書のことばが迫ってきました。聖書のことばへの応答として立ち上がり、前に出ていくと安藤仲市先生が手を置いて祈ってくださいました。同盟基督教団にある自由な雰囲気、明るさ、情熱と輝きをこの大会で感じ、この教団で働けるようになりたいと強く思いました。
神学生になってから、教団創立95周年大会が天城山荘で行われ、奉仕者として参加をしました。前回の大会よりさらに大きく、さまざまな企画が工夫されて、そこではキャンプ場でお世話になってきた先生方が準備に忙しく動かれていて、まぶしく見えました。その当時からモニターテレビで複数会場をつなげるなど、プログラムの内容とともに最先端の挑戦的な試みに満ちていました。私にとって、同盟基督教団は楽しそうに働く人がたくさんいる教団だと思えました。
このあと、教団の大会の準備に関わる機会を多く与えられましたが、いつもこの2つの大会で経験した集まることの楽しさを分かち合っていただくことを思い描いてきました。そして、そのために毎回、多くの人がいっしょに支えてきてくださいました。そのすそ野は広がりつつあります。
牧師や伝道師になっていく人の証しの中には、これまでの大会で決心をしたり、そのきっかけを持ったりという人が少なくありません。それはそこで語られた聖書のことばに向かい合って、自分のあり方を問われ、応答していく過程をそこで、またそこから経験されてきたからだと思います。
イエスは、「仮庵の祭り」でごった返すエルサレムで、そのクライマックスである「祭りの終わりの大いなる日」に「立ち上がり、大きな声で言われ」ました(ヨハネ7章37節)。それは、「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい」という招きでした。
9月に開催する130周年記念大会は、同盟基督教団史上、初めてオンラインで行われます。ひとつの会場に集まることはできませんが、同じ時間をともに過ごせます。スモールグループによる分かち合うときや分科会もあります。準備を進めてきた実行委員会もこれまで1 度も集まれたことはありませんでした。しかし、画面越しに討議を重ねながら、オンラインのメリットを生かせるように考えています。その1つは、参加のしやすさです。沖縄から北海道まで、そして世界中から参加が可能です。これだけの広がりの中で、同じ時間を過ごすことができるのは、数年前からの試みはありましたが、今年だからこそ可能になったと言ってもいいでしょう。
そしてこの大会の中で、オンラインであってもイエスの大きな声が同盟基督教団全体に響き渡り、一人ひとりが応答していくときとなるよう祈っています。