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日本同盟基督教団 教団事務所 

あなたの町の宣教モデル 国外宣教委員長 吉持日輪生

あなたの町の宣教モデル
国外宣教委員長 吉持日輪生(茨木聖書教会牧師)

「ある夜、主は幻によってパウロに言われた。『恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるので、あなたを襲って危害を加える者はいない。この町には、わたしの民がたくさんいるのだから。』そこで、パウロは一年六か月の間腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。」使徒の働き18章9〜11節

この個所は、多くの教会で親しまれ、いつの時代の教会も、どの地域の教会も励まされ続けてきた「神さまの約束」です。さて、最近この個所を読み返しながら、改めて思わされたことは「パウロは、一年六か月の間」どこに腰を据えたのだろうかということでした。使徒の働き18章1節で「その後、パウロはアテネを去ってコリントに行った」とありますので、コリントの町に「腰を据えた」という理解で間違いはありませんが、もう少しピンポイントでパウロが「腰を据えた」場所を聖書から探ると、意外にもその「場所」が見えてきます。
使徒の働き18章5節以降を読むと、会堂で「みことばを語ることに専念」していたパウロに対して、会堂にいたユダヤ人たちが「反抗して口汚くののしったので、パウロは衣のちりを振り払って」次のように語ります。「あなたがたの血は、あなたがたの頭上に降りかかれ。私には責任がない。今から私は異邦人のところに行く。」(18章6節b)
このような激しい言葉を吐き捨て、会堂を出て行った先について、聖書は丁寧に記しています。「そして、そこを去って、ティティオ・ユストという名の、神を敬う人の家に行った。その家は会堂の隣にあった。」(18章7節)
この個所を読むたびに、私は「おーい!衣のちりを振り払い、激しい言葉を吐き捨てて会堂を出て行った先は、会堂の隣かい!!」とツッコミを入れたくなります。しかし、この記述からパウロが「腰を据えた」ピンポイントの場所がわかるのです。「会堂」を出て「会堂の隣の家」でパウロは、異邦人宣教をしたのです。
私が、「会堂の隣の家」に目が向くのは、私自身が遣わされている教会で「会堂の隣の家」での宣教活動をしてきたからです。そして時に「会堂の隣の家」での活動について、「それは本当に教会がすべき働きなのだろうか」との問いもいただくことがありました。その際「キリストのからだなる教会」として「この地上を歩まれたイエスさまの働きを継承していく働き」として説明してきましたが、このコリントでのパウロ宣教に「会堂の隣の家」の宣教が記されていたのだと励まされたというわけです。
私たちは、こんなにも熱心に「会堂での宣教」を重ねてきました。しかし、なかなか人口1%の壁を打ち破れないでいます。だからこそ、それぞれの町で「会堂での宣教」だけでなく、「会堂の隣の家」での宣教を重ねていくことで、なんとかこの壁を打ち破りたいのです。
あきらめないで「腰を据えて」宣教していきましょう。

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