『日本同盟基督教団130年史』は、1966~1990年を「計画伝道による教団拡張の時代」としています。1966年に宣教75周年を迎えた教団は、宣教の前進に向けて新たな宣教の方策に取り組みました。それが、1967年から宣教百年を迎える1991年まで25年間行われた、第一次~第三次五カ年計画、十カ年計画という4回の計画伝道です。計画伝道とは、伝道のヴィジョンを具体化、また数値化して掲げ、それを達成するため教団全体を挙げて取り組むもので、特に各部局を通して活動が推進されました。
第一次五カ年計画が始まった1967年当時、教団は56教会で構成され、現住陪餐会員数は2,282人と、現在の4分の1ほどの規模でした。第1次5か年計画は、「教会数を八十教会にする」「小教会の強化と昇格」「国外宣教の開始」「宣教研究所の設置」「百万円伝道特別献金の募金」という5項目を掲げ、特に教会数については、1971年に80教会となり、目標が達成されています。
第2次5か年計画(1972~76年)は、「国外宣教の推進」「協力伝道の強化」「教育訓練の充実」「開拓目標の実現」の4本柱からなりました。特に国外宣教が始まったのが大きな特徴で、4年目の1975年、教団最初の宣教師として護得久香師が台湾に派遣されました。その後76年に清野勝男子・裕子宣教師(インドネシア)、77年に鈴木教子宣教師(カナダ・イヌイット)、78年に寺田由弘・シマ子宣教師(台湾)、80年に渡邉賢治・美和子宣教師(タイ)と続くことになります。
第3次5か年計画(1977~81年)は、「開拓伝道による宣教の拡大」「聖書信仰による教育の充実」「国外宣教による宣教の使命達成」「協力伝道による教会強化」「相互協力による奉仕の実践」という5項目に、それぞれ具体的目標がつけられました。これに基づいて教団レベル開拓が開始され、1977年、高崎福音キリスト教会(満丸信昭師)が始まりました。それまで、教会数の増加の多くは、宣教師によって生み出された教会の加入によるものでしたが、教会を生み出す教団として、教団やブロック(宣教区)による開拓が始まっていくものとなりました。
最後の10か年計画(1982~91年)は、「信徒の倍加」「二百教会」「五百人の献身者」「三十人の宣教師」「一億円宣教献金(86年より「愛の宣教献金」)」を5つの目標として掲げました。伝道の目標が最も数値化されたものでしたが、多くが達成されずに終わることになります。
これらの計画伝道は、教勢の拡大期とともにありました。1967年の開始当時に2,282人だった現住陪餐会員数は1991年には6,789人まで増加し、教会数も160と3倍近くになりました。1979年の資料では、その頃の受洗者は20代が最も多かったと言われていて、若い世代が活発な活動を繰り広げたことがうかがえます。会員数や礼拝者数はその後も増え続けましたが、受洗者数は1991年にピークを迎えたのち、下降に転じることになります。CS生徒数のピークはさらに早く、1979年です。それらのグラフも『130年史』に収められていますので、歴史と合わせてご覧いただきたいと思います。