「実に、私たちは滅び失せなかった。主のあわれみが尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。『あなたの真実は偉大です。主こそ、私への割り当てです』と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。」(哀歌3章22〜24節)
「朝霧の中で」。これは当教会開拓者であるダビデ・ブルック宣教師の手記で私たちの教会について記した章に当てられた題名です。そこには開拓当初の困難が次のように記されています。「・・・教会の成長はとてもゆっくりとしたものであった。朝の霞みはときとして手の先も見えないほどの霧のように感じられた。つまづき(ママ)、よろめきながらこれでも前進しているのかと疑うほどであった。朝の礼拝の出席者が十二人を数えたら、大きな励ましを受けた。そんな中でも、愛の働きをわたしは忘れないと、主は何度も思い起こさせてくださった。信じて種をまき続ければ、主が収穫をもたらしてくださる。」( ダビデ&ドロシー・ブルック著・加藤恵美訳『身に余る恵み』(新生宣教団、201
1、p355〜356)
1976年に埼玉県南部の朝霞市で始められた宣教活動は、なかなか目に見えての成長が認められない厳しい戦いであったようです。それでもその後多くの宣教師や日本人教師によって宣教は継続され、みことばの種がまかれ続けてきました。現在の教会は草創期を担ってくださった兄姉がご高齢を迎える一方、第2第3世代が信仰をつなぎ、新しいメンバーも加えられつつ、大部を占める子育て世代の方々が奮闘して次代を担おうとしています。「朝ごとに新しい」主のあわれみにすがりつつ種をまき、育て、収穫する主の働きを果たしていきたく願わされています。