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日本同盟基督教団 教団事務所 

イースターメッセージ 私たちの希望 顧問 安藤能成

イースターメッセージ
私たちの希望
顧問 安藤能成(希望聖書教会牧師)

「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」ヨハネの福音書11章25節

これは愛する兄弟ラザロが死んだとき嘆いていたマルタに語られた主イエスのことばです。流れを読むと、人々の嘆きを見た主イエスは「霊に憤りを覚え、心を騒がせて」いました。これは主イエスのことばを聞いてなお不信仰な人々に対する憤りだったのではないでしょうか。神である方と人間との隔たりの大きさを思わされます。アダム以来の罪ゆえの神に対する不信仰。それはまさに生と死、いのちと滅びほどの深い溝であり断絶です。けれどもその超えることのできない深い溝を埋めるためにキリスト・イエスは来られました。その確かな事実をラザロのよみがえりという出来事によって示そうとされました。
主イエスの約束のことばは何と素晴らしいものでしょうか。死は私たち生きている者にとって絶望です。死の先には希望がありません。それが罪のために受け入れなければならない現実です。
この絶望の中に置かれている私たちのために全能の神は、御子イエス・キリストを遣わしてくださいました。復活は人が一度死ななければ起きないことです。死を経験することによって復活のいのちの希望に生きることができます。それは肉体の死だけではなくて、すべてのことにおいて希望を失ったような状態を経験することからはじまる新しい希望です。
ここ2年ほど新型コロナウイルス感染によって社会全体が、それ以前とは異なった状態に置かれて、様々な事が行き詰るような経験を強いられてきました。誰もが早くこの状況から脱して新しい歩みを進めて行きたいと願っていると思います。コロナは様々な社会に困難を起こさせました。困難だけではなく、多くのいのちも奪いました。まだそれは終わってはいません。でも、私たちもいつまでも閉塞感の中で縮こまっていることはできません。新しいいのちに歩み出して行きたいと思います。
私たちはどのような希望を持っているでしょうか。希望を失っているならば新しい未来に向かって進んで行くことはできません。
パウロはローマ書5章で、苦難をとおして与えられる希望について「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」と語っています。苦難があるからこそ希望につながるという文脈です。誰も苦難に会いたいとは思いません。しかし誰にでも訪れてきます。それを逃れたいという思いに立つのか、それとも苦難から逃げないで耐え忍ぶのかによって向き合い方が違ってきます。
これらのことばは、信仰的、霊的な事柄について語られていますけれども、働きの面においても変わることはないと思います。技術革新とか成長というものは困難な状況や、今まで遭遇したり経験したことのない状況が訪れることによって、生み出されて来たのではないでしょうか。東日本大震災による原発事故からエネルギーの転換が加速してきました。また地球温暖化という出来事に地球規模で技術革新が求められ取り組まれてきています。苦難や困難な状況が訪れた時こそ、新しい取り組みがなされてきていることを知ることができます。SDGs持続可能な社会について17項目がうたわれています。その中には私たちキリスト者、すなわちこの世界を創造された真の神を知っている者こそが目指さなければならないことが挙げられていると思います。
そして主イエスはご自分の復活という素晴らしい事実を示すことによって私たちの信仰と行動を促して言われます。「また、生きていてわたしを信じる者はみな永遠に決して死ぬことがありません。あなたは、このことを信じますか」と。

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