いのちの樹教会という名称は「正しい人の結ぶ実はいのちの木。知恵のある者は人の心をとらえる。」箴言11章30節のみことばから取られました。もともとは、1961年エドワード・H・マルチン宣教師によって「狭山コミュニティーバプテスト教会」という名で宣教が開始されましたが、1975年の教団加入を機に改名の話が上がり、1979年いのちの樹教会となりました。私が初めてこの名前を聞いたのはまだ全員で集まっていた頃の教団総会で、前任牧師である平島誠師が質問をする際に名乗られた教会名を聞いて、変わった名前の教会だなと思ったのを覚えています。けれど、名は体を表す。実際に赴任して思うのは、これ以上にないふさわしい名前だということです。
教会員が幼稚園を経営されていることもあり、教会には絶えず子どもたちが与えられて来ました。その礼拝は決して厳かでも、静寂でもありません。良く言えば賑やか。悪く言えば騒々しい。けれど、活気あふれるいのちを育む礼拝です。ここで新しい命が誕生し、仲間が加えられ、共に喜び、時には涙し、一喜一憂しながらも、絶えずいのちの実なるみことばをいただき、共に成長し、それぞれの使命へと旅立ち、また休息し、そしてやがては主の御許へと召されて行く。私たちの目指すところは、大樹のごとく命を育み、恵みを数える教会です。
コロナ禍にあって様々な教会活動が制限されている中、外に向けて伝道が難しいのなら、今年は内に向けて信仰を養う雌伏(しふく)の年としようと、様々な外部講師をお呼びして学びと献金の機会を持っています。今だからこそできることに目を向けて、共に成長するいのちの樹となるべくこれからも励んでまいります。