キリスト教の歴史は、異端との戦いの歴史でした。そこで最も大きな焦点となるのは、「キリストとは一体誰か」というキリスト論をめぐる課題です。聖書の中でも、使徒ヨハネは語りました。「神からの霊は、このようにして分かります。人となって来られたイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。イエスを告白しない霊はみな、神からのものではありません。それは反キリストの霊です」(Ⅰヨハネ4:2-3)。このキリスト論をめぐる課題は、新約聖書の時代からずっと続いていきますが、4世紀に入って一連の神学論争の総決算のような論争が起こります。それが「アリウス論争」です。
事の発端は、エジプトのアレクサンドリアで司祭となるアリウス(256年頃-336年)が、三位一体に関して、正統派と異なる教理を唱えたことにあります。彼は、三位一体の御父と御子の関係から、御子が御父によって存在するようになったのなら、御子には存在しなかった時があると主張し始めます。ここからアリウスは、キリストの神性を否定し、キリストを被造物の一つと考えて、他の被造物同様にキリストも「無から創造された」としました。御子は、被造物の中で最初に生まれたものであって、世界を創造する際の作用因ではあっても永遠ではないと結論づけます。つまりキリストは、神ではなく被造物の一つですが、被造物の中で最上位に位置するものとされます。この理解は、現代の新興宗教「エホバの証人」(ものみの塔)とよく似ています(彼らはそのことに無自覚ですが…)。
このアリウスの問題を解決するために、コンスタンティヌス大帝は、3 2 5 年5月に帝国全体に呼び掛けて会議を開きます。これが有名な「ニカイア公会議」(第1回教会総会議)です。約3 0 0 人(220-250人という説もある)の司教が帝国全土から集まりますが、西方からの出席者はわずかで、ほとんどが東方ギリシャ語圏の司教たちでした。ある研究者によると、この会議には、迫害によって「右眼を失い、両手を害(そこな)い、右腕を切断され、不具となり『主イエス・キリストの傷痕を身におびた人々』が多数いた」と伝えられています。
この会議が生み出した重要な信条が、ニカイア信条です。その焦点は、御父と御子の関係が「同質」か、それとも「類似」かという点にありました。「同質」はギリシャ語で「ホモウーシオス」(ὁμοούσιος)といいます。一方「類似」はギリシャ語で「ホモイウーシオス」( ὁ)です。両者よく似ていますが、異なるのはギリシャ語でたった一文字!「イオータ」( 英語でいう「アイ」)が一つ入るか入らないかの違いです。しかしこの一字が入るか入らないかで、キリストは神なのか、それとも神に似た一被造物にすぎないのか、まったく異なる結果がもたらされることになります。キリストは、父なる神と同質の神だという正統信仰は、このようにして勝ち取られたのです。