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日本同盟基督教団 教団事務所 

聖書と古代オリエント 第13 回 「ユダヤのベツレヘム」

第13 回 「ユダヤのベツレヘム」
朝霞聖書教会 牧師/聖書神学舎[ 宣教会] 教師 田村 将

「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれています。」マタイの福音書2章5節

これは「ユダヤ人の王」誕生の知らせを受け動揺するヘロデ王が、キリストはどこで生まれるのかと問いただした際に、祭司長・律法学者たちが答えた最初の一言です。「ユダヤのベツレヘムです」と断言しており、かなり確信をもって答えているように感じられます。彼らには断言し得る根拠がありました。それは「預言者によってこう書かれている」からだ、というわけです。

ここで、おなじみのメシア預言が引用されます「ユダの地、ベツレヘムよ、あなたはユダを治める者たちの中で 決して一番小さくはない。あなたから治める者が出て、わたしの民イスラエルを牧するからである。」(マタイ2章6節)。ご存知、ミカ書5章2節のことばです(引用・言及の正確性など、議論のある箇所ですが、今回はその詳細には立ち入りません)。ミカ書ではベツレヘムは「ユダの氏族の中で、あまりにも小さい」と言われています。果たして、マタイの福音書にあるように「一番小さくはない」のか、はたまた「あまりにも小さい」のか。ここには表現の違いはありますが、本質的に言われていることは同じだといえます。ベツレヘムは大きな町ではなく、極めて小規模な集落であった、ということです。

聖書外資料においてもあまり言及は多くはないようです。ベツレヘムが古代の聖書外資料で初めて言及されている可能性として指摘されているのは紀元前14世紀のアマルナ書簡(エジプトの王と、おもにカナン諸氏族との間に交わされた書簡類)です。その書簡群の中で、エルサレムの王アブディ・ヘパという人物が書いた書面にビート・ニヌルタ (Bīt[ 家] -N I N . U R T A[antum = 大麦の穂])という名で、それがベツレヘムを指しているのではないかとされる地名が見出されます。ただ、これでさえ本当にベツレヘムを指しているのか、見解が分かれています。このように限られた言及しか初期の時代にはなかったであろうことや、聖書内での取り上げられ方(上述のミカ書や、ヨシュア記15章59節のギリシア語訳にはベツレヘムの名があるのにヘブル語本文にはないことなど)から、この町が当時からそれほど大きな社会的影響力のある場所ではなかったことが伺えます。

しかしそれにも関わらず、この町の持つ重要性には多大なものがあります。ベツレヘムを舞台にして織り成された数々の信仰の出来事が思い出されるからです。異邦人であるモアブの女性ルツが示した主なる神への信仰と姑ナオミへの従順。買い戻しの権利を行使したボアズの信仰。選考の対象にさえ選ばれなかった羊飼いダビデになされた王としての油注ぎ。そして、マリアとヨセフの信仰の従順をとおして神が成し遂げられた救い主イエス・キリストのご降誕と、それを喜ぶ羊飼いや博士たちの姿。まさに、「人はうわべを見るが、主は心を見る」( Ⅰ サムエル1 6章7 節)のです。そしてこのことはまた、次の詩篇のことばを想起させます。「家を建てる者たちが捨てた石/それが要の石となった。 これは主がなさったこと。/私たちの目には不思議なことだ。」(詩篇118篇22~23節)主は人がどのように見ようとも、ご自身のご計画に従って、ご自身の栄光のために、全てのものを用いてくださいます。「パンの家」を意味する素朴な町ベツレヘムが主に大いに用いられたように、私たちもまた、主の憐れみの器として用いられるクリスマス・新年となりますように。

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