日本とアジアと世界に仕える Japan Alliance Christ Church
日本同盟基督教団 教団事務所 

長野市を深く愛した人 ブルース・へランド宣教師

長野市を深く愛した人 ブルース・へランド宣教師
倉沢 正則(沼南キリスト教会牧師)

 

関わられた教会開拓の働き

私がブルース・へランド宣教師(1927-2021年)と初めてお会いしたのは、長野工業高1年生(1967年)で、英語を身につけようと英語クラブを訪れた時でした。この人との出会いが私の人生を予想だにしないものに変えたのです。英会語講師であったへランド先生は温厚で親しみやすい人柄で私は魅了されてしまいました。そして、クラブ活動とは別に、長野市内の高校生を集めた集会で、ムーディー科学映画を観て神の創造のきめ細かさを知ったのです。そしてよくヨハネ3章16節を英語で暗唱させられました。へランド先生は「ヨハネ3章16節の人」とも表現できるぐらい、この聖句を愛し話されました。へランド宣教師夫妻(デルナ夫人)は、善光寺のお膝元である長野市に宣教師生涯をかけて腰を据えて宣教に励まれたのです。同じTEAM宣教師のクララ・ロビンソン宣教師とミルドレッド・スイフト宣教師とともにチームで伝道されました。1960年の来日以来、安茂里聖書教会(1964年、1988年長野聖書教会へ名称変更)、篠ノ井シャローム教会(1974年、その後長野聖書教会と合併)、そして、宣教師引退の3年前に長野福音教会の旧会堂跡地で長野めぐみ教会(1989年)を新たに開拓されました。宣教師定年(1992年)後帰国されましたが、2007年にデルナ夫人が召され、80才を越えて再来日(2008年)して香川県高松市でラルフ・カックス宣教師夫妻の伝道を4年間手伝われたのです。

その略歴

1927年10月3日に米国ウィスコンシン州ブロッドヘッド市に誕生されたへランド宣教師は、高校卒業後、米国海軍(1952-55年)の勤務を経て、主の道を歩みたいという志をもって、シカゴにあるムーディー聖書学院やトリニティー・カレッジを卒業されました。また、日本への宣教師であったデルナ・ゴルツェン氏と結婚され、1960年秋にTEAM宣教師として来日されました。

軽井沢で日本語の学びをされておられた時に、すでに長野市でドン・ゴース宣教師が幼稚園や自宅で集会を開れていて、そこを訪ねておられます。そこが長野福音教会の前身となりました。そして前述のように、長野市に腰を据えてイエス・キリストの福音をまだ教会のなかった地域に届けられました。へランド先生の働きは教会開拓でしたが、もう一方で高校生伝道にも注力されていました。国立長野高専や長野工業高など長野市にある幾つかの高校で英会話の講師を勤めて高校生らと接点をもち、興味のある高校生を誘って、自宅向かい側の公民館で英語を用いた高校生集会を毎月開かれ、20名ほどの学生が集っていました。西澤廣美牧師(のびどめキリスト教会)や唐沢伝牧師( 藤代聖書教会)、そして私もその集会に通いました。へランド先生は、英語に興味をもつ高校生を松原湖バイブルキャンプ(英語キャンプ)に送られて、キリストに出会う機会とされました。婦人宣教師たちとのチーム宣教、そして松原湖バイブルキャンプとの協力宣教を心がけておられたことを知るのです。TEAM宣教師引退後も、日本を愛して再来日し、高松でのカックス宣教師夫妻の働きを共にされました。TCU(東京基督教大学)の所用で高松を訪れた時、町川洋三先生(支援教師)がへランド先生との再会の仲介をしてくださったのです。
その後、へランド先生は米国に帰国され、91才まで米国ペンシルベニア州クオリービルにある長老系の引退コミュニティーで、2人の娘家族との再会や聖書の学び、木工作業やガーデニングに励み、そのコミュニティーでの奉仕に自発的に関わられました。そして、2021年4月13日、93年の生涯を全うして主のもとに帰られたのです。

「長野市の人々を深く愛された人」

「戦後の宣教師」シリーズの最後にへランド宣教師を取り上げました。TEAM宣教師の中でも地味な宣教師かもしれません。しかし、このような地味とも思える宣教師たちの忠実で地道な働きのゆえに、今日の教団があり、その歴史を刻んで来たことを覚えるのです。また、私の「信仰の父」でもあり、執筆の特権に与らせていただきました。1つの地域にしっかりと腰を据えて宣教に励まれた宣教師たちも多くおられることでしょう。
へランド先生は、宣教師生涯をかけて長野市の人々を深く愛されたのです。その温厚で謙遜な人柄が、当時の高校生の心を掴(つか)み、英会話という手法を用いて福音を伝えられました。その中から8名が教会献身者として神学校に進み、その内5人が今も牧師として教会に仕えています。教団では、西澤廣美師、唐沢伝師、そして私です。「神の愛と情熱を傾けて」高校生伝道に尽力される姿、また、冬の寒い朝、教会案内と英会話教室のチラシを不自由な片足を引きずりながら「一生懸命渡される」姿に、私たちは心を打たれて、先生の信じるイエス・キリストに魅せられて行ったのです。そして、へランド先生を支えたのはデルナ夫人だけでなく、米国留学から戻られた北村喜彦兄(後に長野聖書教会牧師を経て2023年3月引退)でした。彼は、1968年以来へランド先生のよき理解者であり協働者でした。「神の愛を語る神の人、真の宣教師であった」とは、まさにへランド先生を偲ぶ北村師の言葉なのです。

<付記>原稿執筆に際し、長野聖書教会北村喜彦師、のびどめキリスト教会西澤廣美師、藤代聖書教会唐沢伝師からの資料・写真の提供があり、この場を借りて感謝いたします。

Print Friendly, PDF & Email