日本とアジアと世界に仕える Japan Alliance Christ Church
日本同盟基督教団 教団事務所 

イースターメッセージ 死への勝利の歌を歌って

イースターメッセージ

死への勝利の歌を歌って

中谷美津雄(周東のぞみキリスト教会牧師)

ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。」(Ⅰコリント15章58節)

1 死と虚無の支配の中から
「人は皆、死んだら無に帰する。としたら、生きることに意味は無く、勧善懲悪もまた、無意味ではないか」。
初めて福音を聞いたのは、こんな疑問を抱え、虚無感を全身にしみこませていた十九歳の春のことでした。
生の努力や成果をすべて飲み込み忘れ去らせてしまう力ある死の前に、すべては空しく思われ、生きる意欲も喜びも失っていた頃でした。
その日、他人を救うために自分のいのちを捨てた、あるキリスト者の衝撃的な話に驚き、自分の知らない世界がそこにあると思い聖書を読むようになりました。

2 聖書を通して語られる神
空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。」(伝道者1章1節)のみことばに出会い、深い共感を覚えると同時に、これは真の神を知らない人の人生観であり、その空しい生き方から逃れるために、「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに…。」(同12章1節)と勧められていることに気付きました。
神を頑なに否定して自分中心に考える罪のために、死の支配から解放されず、虚無に服さざるを得ないのだから、自分を捨てよとのチャレンジと受け止めました。
その年の秋、ある集会で開かれたみことばから、神は私の心の内に秘めた疑問に応えてくださると知って驚きました。最後の集会で、その神が罪深い私を愛していてくださると、開かれた聖書を通して示されたとき、心が砕かれ素直になると同時に、平安と喜び、感謝が生まれ、生きる意欲が湧いてくるのを覚えたことでした。

3 死への勝利の歌を歌って使徒パウロはⅠコリント15章で死は終わりではなく、復活の希望があると教えました。まずは、その希望の土台である福音、私たちの罪のために死んで復活されたキリストを確認した上で、キリストの復活は初穂としての復活であり、再臨の時にはキリストにある死者が復活すると語ります。そのからだは朽ちる血肉ではなく、朽ちない御霊のからだであり、その時生きている者はみな死なないものに変えられる奥義を告げ、最後に、イエス・キリストによって与えられた死への勝利の歌を歌い感謝して、「いつも主のわざに励みなさい」と訴えて終わります。パウロがイザヤとホセアの預言を引用してつけた解説は、正に、死に対する勝利の歌です。
「『死は勝利に吞み込まれた。』『死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。』死のとげは罪であり、罪の力は律法です。しかし、神に感謝します。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。」(54〜57節)恐ろしい毒を持つサソリも、とげを押さえれば安心できるように、死もそのとげである罪を押さえれば怖くありません。神は律法を全うされた罪のないイエス・キリストの十字架の死と復活によって、罪の力である律法を抑え、私たちに勝利を与えてくださいました。私たちはキリストの勝利を信仰によって受け、パウロとともに「神に感謝します」と叫び、勝利の歌を歌うことができるのです。

4 主のわざへの励まし(58節)この問題を終えるに当たってパウロは「堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい」と勧めました。みことばの教えに堅く立ち、主から託された福音宣教とキリストの教会を建て上げるために行う愛のわざのすべてです。
「自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから」がその勧めの根拠です。人生は死で空しく終わるのではなく、最後の敵である死に勝利された主にあって無駄は一つもありません。さあ、今日も、水一杯を差し出す愛のわざにともに励みましょう。

Print Friendly, PDF & Email