「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」マタイ5章9節
右記聖書箇所は、イエスさまが山上から語られた有名な説教の一部分です。「8つの幸い」と呼ばれるところの7つ目になります。この「8つの幸い」の最初と最後は「天の御国はその人たちのものだからです」(3節後半、10節後半)となっていて、私たちの目を、私たちの思いを「天の御国」へ、「天」へと向けさせるメッセージとなっています。
さてこの7つ目の幸いの箇所は、「平和をつくる者は幸いです」から始まります。「ロシアとウクライナの戦争」、そして「イスラエルとガザの争い」、それだけでなく2024年になり「地震」「飛行機事故」「大火災」などが続き、「平和」を切に求めたくなる状況が続いています。
イエスさまは「平和をつくる者」の姿として、「その人たちは、互いに愛し合うからです」とか、「その人たちは互いに赦し合うからです」とは語りませんでした。「その人たちは神の子どもと呼ばれるからです」と語られています。
ではいったい「神の子どもと呼ばれる」とは、どのような姿を指しているのでしょうか。このことを思い巡らしながら教えられたことは、子どものように父なる神さまに切に祈る姿です。「敵」を前にして、「攻撃する者」からの攻撃の最中にあって、私たちの目を「敵」や、「攻撃する者」に向けるのではなく、天の父なる神さまに向け、子どものように、切に、切に、父なる神さまに祈る姿です。
2024年がどのような日々となっても、私たちは「神の子ども」として、目を天に向け切に、切に、祈りましょう。「平和をつくる者」の道を誠実に忠実に歩みましょう。