わたしはあなたを選んで印章とする。わたしがあなたを選んだからだ。ハガイ書2章23節
「過去は変えられない」。時の流れを遡ることのできない人間にとってそれは自明のことです。だから過去の出来事の結果として直面している現実に対しても同じように感じてしまうことがあるように思います。昔決定されたことは今も有効である。良きにつけ悪しきにつけそれがこの世の理(ことわり)だといえます。
しかし、冒頭の聖句はその限界を打ち破るような驚きを読者に与えるものです。それを一番感じたのは、これを聞いた当事者であるユダの総督ゼルバベル本人であったことでしょう。
時は紀元前520年頃。舞台はエルサレムです。バビロン捕囚から帰還したイスラエルの民が崩壊した神殿を再建しようとしましたが妨害に遭い、計画は頓挫していました。主は預言者ハガイやゼカリヤを通して、中断されていた再建工事を再開するよう民に促し、ついに事が動き出しました。
ところが民をリードする役割を担っていた総督ゼルバベルには、拭うことのできない暗い過去がありました。それは、かつてユダの王であった彼の祖父、エコンヤ(エホヤキン)に関することでした。エレミヤ書22章24-30節に次のように記されてあります。
「ユダの王、エホヤキムの子エコンヤは、わたしの右手の指輪の印ではあるが、わたしは必ずあなたを指から抜き取り、…カルデア人の手に渡し、あなたと、あなたの産みの母を、あなたがたが生まれたところではない、ほかの地に放り出し、そこであなたがたは死ぬことになる。…この地に、彼らは決して帰らない。…彼の子孫のうち一人も、ダビデの王座に着いて栄え、再びユダを治める者はいないからだ。」
この預言によれば、エホヤキンの子孫は今後誰も、日の目を見ることはありません。それは、「わたしの右手の指輪の印」であったエホヤキンを神は抜き取り、放り出したからです。神にのろわれたかのような家系。ゼルバベルはそのような暗い過去を背負っていたのです。
しかし神はそのゼルバベルに「わたしはあなたを選んで印章とする」と言われました。耳を疑うような内容でした。のろいから祝福へ。神は事実上、ご自身がかつて決定されたことを変更すると言われたのです。もちろん、ゼルバベルは王ではなく総督であり玉座に着いたわけではありませんでした。それでも、神は彼を名指して顧み、あわれみを示してくださったのです。
ここでいう印章とは、印鑑のようなもので、そこには王の銘(名前)が刻まれ、おそらく指輪の形をしていたものです。それは王や権力者が身に着けて保管するほど大切なもので決済や法令発布に使用しました。神が人をご自身の印章にしてくださるとは、ご自分のように大切な存在として肌身離さず守り、ご自身の代理として扱ってくださるということです。
これまでのゼルバベルの生涯は、祖父の代の罪責を背負うようなものだったことでしょう。主はもう顧みてくださらないのだろうかと、嘆くこともあったかもしれません。しかしそんな彼を、主は特別に顧みてくださいました。そしてかつての決定を覆すようにして、のろいを祝福に変えてくださったのです。それは「わたしがあなたを選んだからだ」と言われるように、神の選びによることです。神の選びには主の慰めが満ち溢れています。ここでの印章はそれを証しするものでした。