日本とアジアと世界に仕える Japan Alliance Christ Church
日本同盟基督教団 教団事務所 

キリストが生きておられる 伝道局長 廣瀬薫

キリストが生きておられる
伝道局長 廣瀬薫(派遣教師)

「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2章20節)

「理事の声」を書くのは、これが最後になります。規程上、理事選には年齢超過になりました。これまで、理事や常任書記や理事長として仕えた期間、同盟基督教団の皆さまには、言い尽くせぬほど大変にお世話になってきましたことを、この場をお借りして、心から感謝申し上げます。最後なので、少々私事を書くことをお許しください。
今、22才で洗礼を受けて以来の信仰生活の歩みをなぞり直しているような、不思議な感覚を味わっています。
①キリスト教主義の恵泉女学園の学園長になったのは、国立キリスト教会で43年前一緒に洗礼を受けたK兄が、恵泉の校長だったのがきっかけです。共に過ごした求道者時代と受洗、やがて私はゼネコンを辞めて牧師になり、彼は電機メーカーを辞めてキリスト教教育に進み、それぞれ別々にあると見えた主の導きの線が、43年たって夢にも思わぬ形で交わったのは不思議です。
②洗礼を、東京キリスト教学園の国立キャンパスの女子寮のお風呂で受けました。それから33年後に、その学園の理事長として仕えるとは、予想もしなかった不思議です。
③この度、恵泉の経堂キャンパスへの徒歩圏内にアパートを借りました。すると、ゼネコン時代に建築現場の責任を負った最後の某本社ビルまで徒歩2分であることを発見。35年前を懐かしみつつ、地上の歩みの線がここでも再び交わった、不思議を思っています。
④アパート近辺は、母子家庭であった我が家が、私の高校大学時代に貧しい生活を過ごした懐かしい所です。今では著名な高級住宅地ですが、壁の隙間から外が見えたボロアパートを思い出して、不思議なノスタルジアを感じています。
大学時代に国立キリスト教会に行き、我が家で最初のクリスチャンとなって洗礼を受けました。自分で教会に行き自分で聖書を読み自分で信仰を選んだように思っていました。けれども実は伏線があったことをやがて発見します。新潟県長岡の祖母が90年余り前に、「神の国の建設」を掲げたキリスト者の羽仁もと子の「友の会」に参加し、娘である私の母を自由学園に入れたことによって、私が生まれる前から、福音の種が我が家に蒔かれていたのでした。クリスチャンホームではないにもかかわらず、名前がキリストの香りから採られた「薫」になっていたりするのは不思議です。自分から始まって、母親へ祖母へと信仰が繋がる「逆信仰継承」の恵みを我が家は経験しました。だから、「私は、我が家で最初に洗礼を受けた、三代目のクリスチャンです」と言ったり、「生きて来たのではなく、生かされて来たのだとはっきり分かります」と、繰り返し語って来ました。けれども今はさらに、「生かされて来たというよりも、キリストが生きておられるだけなのだ」と感じています。
同盟基督教団の洗礼式の式文には、「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。……と新たに決意しなければなりません」という「式辞」があります。以前はこの言葉に違和感も覚えていました。「もはや私が生きているのではなく」とは、洗礼を受けて信仰生活をスタートする人にとって、飛躍し過ぎた要求ではないかと思っていたのです。昔の同盟基督教団の「きよめ派」の流れが強調した「自我の磔殺(たくさつ)」の名残のようにも感じていました。
しかし今はむしろ、「クリスチャン人生って結局そういうことだなあ」と妙に納得しています。教会に初めて行った時、洗礼を受けた時、献身を決意した時、等々を想いつつ、当時は全く予想も想定もしなかった導きが、実は全て予め用意されていたのを、驚きをもって発見してきました。やがて地上の生涯を終える時には、「神さまのみわざは、何もかも本当に面白かった」と言って終わろうと思っています。

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