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日本同盟基督教団 教団事務所 

イエスさまなら、どうする? 信徒理事 鈴木國友

イエスさまなら、どうする?
信徒理事 鈴木國友(いわきキリスト教会)

「むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長するのです。」(エペソ4章15節)
私が20代の頃、就職した東京から帰省した冬の話です。故郷で1日過ごし、遅い列車で戻ろうと、いわき駅の待合室にいる時でした。そこは教室くらいの広さで、壁の周りを1人掛けの椅子がずらっと並び、10人程の人が、寒い部屋で身を縮めていました。そこに、作業服を着た酔っ払いとわかる爺さんと気弱そうな若い男が入ってきました。そして入り口付近にいる人にボソボソと話しています。その人が手を横に振ると仕方なさそうに、次の待合人に話かけています。何だろうと思い聞き耳を立てていると、その爺さんが、「こいつ(若い男の方)は今日、風邪で仕事にあぶれた。だから、こいつに晩飯を食う金をめぐんでほしい」というようなことを話しているのです。次の人にも断られ、また隣の人に話しかけています。
【まずい、あと何人かで僕のところに来る】と思った私は、どうしようかと迷い始めました。夕飯代の金なんか、痛くも痒くもない。ポンと差し出して一件落着にしようか。いやいや待て待て、それってあの男の為になるのか。味を占めて仕事をしないで人から金を無心する人生になっちゃうのでは。いや、だいたいあの爺さん、人助けのように振舞って人に金を無心しているが、酒を飲む金があるなら、それで彼を助けろよ。そんな爺さんの口車にのって金を出してやるっていうのは、俺って偽善者じゃない?断ろうと決心して気弱な男の姿を見ると、何故かかわいそうにも思えて決心がぐらついてきます。とうとう後3人目で私のところにくるという時、ふと牧師のメッセージを思い出しました。それは「もし、判断に迷うときは、こう考えなさい。イエスさまならどうするだろうと」。そこで思いました。この状況でイエスさまならどうするだろうか。頭に浮かんだのは、ザアカイや姦淫の女に接しているイエスさまの姿でした。
「兄ちゃん。すまねえがこいつは風邪で仕事にあぶれたんだ。飯代めぐんでくれねぇかな」。しゃがれ声がしたと思ったら、目の前にあの爺さんの顔がありました。「ああ、大変だね。これで足りるかな。暖かい物でも食べてくれよ」と3千円出すと、爺さんはびっくりした顔をした後、くしゃくしゃの笑顔になって、若い男の肩をたたきながら、「聞いたかい。このお兄さんが晩飯代を出してくれるってよ。さぁお礼を言わねぇかい。兄さんありがとうよ」。そして何度もおじきをして、待合室を出て行きました。それを見届けると僕の隣にいた青年が、こう言いました。「どうして、お金上げたんですか」。・・・「いや、イエスさまなら・・」と答えるわけもいかず、「君なら、どうした」と聞いたら、「僕なら、絶対あげませんね」。そう言って待合室を出て行きました。そう、列車の出発時間になったのです。私は帰りの汽車の車窓をみつめながら、「どっちが正解なんだろう」とずっと考えていました。
これが洗礼を受けたばかりで、神さまのことも聖書のこともなにも知らず歩み始めたベビークリスチャンの頃の私の思い出です。あれから45年。この「イエスさまならどうする」という言葉に、クリスチャン人生の分水嶺の時どれほど助けられたことか。ですから若い人に是非覚えてほしいのです。あなたが人生の岐路に立った時、心を静めて「もしイエスさまだったらこの局面にどうするだろうか」とイメージしてください。それはあなたをイエスさまに似た者に成長させてくれるでしょう。

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