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日本同盟基督教団 教団事務所 

聖書と古代オリエント 第14 回 「ガザ」

聖書と古代オリエント 第14 回 「ガザ」
朝霞聖書教会 牧師/聖書神学舎( 宣教会) 教師 田村 将

「さて、主の使いがピリポに言った。『立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。』そこは荒野である。」(使徒の働き8章26節)

地中海東岸の古代都市「ガザ」。現在はTell Ḥarube(またはTell Azza)と呼ばれるこの場所は,地中海沿岸近くを走る幹線道路(「ペリシテ人の地への道」[出13:17],後には「海沿いの道 Via Maris」[イザ9:1])沿いに位置し、エジプトとメソポタミアを結ぶ交通の要衝にありました。聖書におけるこの地名の登場は、創世記10章19節の「諸国民の表」にまで遡ります。「 それでカナン人の領土は、シドンからゲラルに向かって、ガザに至り、ソドム、ゴモラ、アデマ、ツェボイムに向かって、ラシャにまで及んだ。(下線脚色筆者)」この記述から、ガザはハムの末裔が住む地として、古くから認識されていたことが分かります。

また,古代エジプト第19王朝の王セティ一世 (紀元前1300年代) がカルナックに残した遠征碑文には、「カナンの町 “the city of Canaan”」と記されてあり、それがおそらくガザを指していたと考えられています(もっと広い領域を指すとの意見もあります)。このことから、この町が当時は、カナンの地にあるエジプトの属州であったとも推測されます。このガザは当時から要塞化されていたことが知られており、「見張りのやぐら…城壁のある町 (Ⅱ列18:8)」との形容は、そのことを彷彿とさせます。

さらに後の時代には、ガザはこの地に定住したペリシテ人 (エーゲ海沿岸に起源を発すると思われる民族。海の民?彼らの住み着いた土地は、フィリスチア [パレスチナ]と呼ばれるようになった) の主要な都市の一つとなり、ペリシテの五大都市国家の首都であったこともあります。「ガザ近郊の村々に住んでいたアビム人については、カフトルから出て来たカフトル人が根絶やしにし、彼らに代わって住んだのであった」(申2:23)との記述は、ペリシテによるこの地への最初の定住の過程を記していると思われます。「カフトル」とは恐らくクレテを指しているのでしょう。その後は、「約束の地」へと入植してきたイスラエルとの間に戦いが絶えず、ヨシュア記では4回言及されています (ヨシ10:41、11:22; 13:3; 15:47)。士師の時代には、サムソンがペリシテとの戦いの果てに捕えられ、引き立てられて行った先がペリシテの町ガザでした (士16:21)。イスラエル王朝期には属国であった時期もあり、以後、イスラエルとほぼ命運をともにし、民族的には次第にアラブ系のイドマヤ人と同化していきました。

冒頭の使徒の働き8章26節では、ピリポが主の使いに促されて出かけ、エチオピア人の女王カンダケの高官に出会う場面が描かれています。その際に通った道が「ガザに下る道」でした。「そこは荒野である」との表現は、その道を通る人が少なかったことを意味していたと考えられます。当時ローマ帝国の支配下にあったガザは、クラウディウス帝の時代には主要都市の一つに数えられていましたが、紀元66年にはユダヤ人の攻撃を受けて略奪されました (ヨセフス『ユダヤ戦記』2.460)。古代から紛争や戦争の場面となってきたガザですが、使徒の働きにおいては、異邦人の救いに関わる重要な場面でさりげなく登場しています。それはさながら、政治・宗教的な対立を超えて、キリストの贖いによる勝利が示されていたかのようにも思える1コマです。この地においても、キリストの平和が支配するように祈らされるものです。

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