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日本同盟基督教団 教団事務所 

こうして、神のことばは 理事長 朝岡勝

こうして、神のことばは
理事長 朝岡勝(徳丸町キリスト教会牧師)

「こうして、神のことばはますます広まっていき、エルサレムで弟子の数が非常に増えていった。また、祭司たちが大勢、次々と信仰に入った。」(使徒の働き6章7節)

 

 

聖霊の風に乗って

主イエス・キリストの復活を祝うイースターを過ごし、聖霊の降臨を祝うペンテコステを迎えます。続くコロナ禍のもとにありつつも、聖霊の自由な風に乗って福音宣教に励む諸教会、特に新たな任地に移られた教師方、それらの教師を迎えられた諸教会に祝福がありますように。
使徒の働きに特徴的な言い方に「こうして、神のことばは」、「こうして、教会は」という表現があります。大きな塊がごろりごろりと転がるように使徒たちの宣教の進展を描く言葉です。「こうして、神のことばはますます広まっていき」(6章7節)、「こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地にわたり築き上げられ」(9章31節)、「神のことばはますます盛んになり、広まっていった」( 12 章24節)、「こうして諸教会は信仰を強められ、人数も日ごとに増えていった」(16章5節)、「こうして、主のことばは力強く広まり、勢いを得ていった」(19章20節)。
使徒の働きのポイントは聖霊のお働きです。挙げられたキリストから送られた聖霊が「みことば」とともに働き、「教会」を通して自由に働かれる。聖霊の風に乗って「神のことば」が広がるところに教会が成長し、「教会」が前進するところに神のことばもまた進展する。この事実を使徒の働きは私たちに繰り返し教えているのでしょう。

「こうして」とは「どうして?」

「こうして」という句が最初に登場する6章7節に注目します。「こうして、神のことばはますます広まっていき、エルサレムで弟子の数が非常に増えていった。また、祭司たちが大勢、次々と信仰に入った。」ここには教会の祝福された姿が記されていますが、そのような結果がもたらされた「こうして」とは「どうして」なのか。「こうして」というわけですから、その理由はその前の記述の中にあると考えるのが自然ですが、6章の前の3章から5章で起こったことは、「美しの門」での癒しの出来事を発端に起こったペテロとヨハネの逮捕と尋問、またアナニアとサッピラ夫妻の財産隠しとそれへの裁きという事件でした。また6章の後、9章までの間に起こったことは、7章でのステパノの殉教、8章でのエルサレム教会への迫害、ピリポのサマリア宣教に代表される散らされた人々による宣教、そして9章に記される教会最大の迫害者サウロの回心物語でした。このような個別の教会、個別の状況を見つめれば、「こうして」という言葉につながるような理由は見当たりません。むしろ困難な現実、深刻な状況、痛みを伴う事態が続いています。「こうして」よりも「しかし」、「にもかかわらず」といった表現のほうがふさわしいとさえ言えるかも知れません。

神のことばは進む

それでも使徒の働きが「こうして」と記すことに、励ましを受け取りたいと思います。どれほど困難な現実、深刻な状況、痛みを伴う事態があったとしても、「こうして、神のことばはますます広まっていき、・・・弟子の数が非常に増えていった」と、神のことばが拓いていく神の国の前進があるのです。新型コロナ禍がいまだ続く2021年。今年も諸教会の福音宣教には様々な困難がともない、知恵と工夫、忍耐を必要とすることでしょう。キリストの身体の手足を大いに伸ばし、全身を躍動させて思い切り働きたいところですが、なかなかそうもいかないところ、ままならないことも多いかもしれません。「しかし」、「にもかかわらず」でなく「こうして」神の言葉は前進し、「こうして」教会は成長し、進展していく。このみことばの現実を互いに確認し、みことばとともに働く聖霊の自由な風に乗って、今年もみことばを宣べ伝える私たちとならせていただきましょう。

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