平和という課題を創造論(人間)から語り出しました。
ウィクリフ宣教師として、カリマンタンの奥地に派遣された塚田真理子師は、現在、新潟県上越市の母教会に拠点を置いておられ、日頃のご奉仕から平和への強い思いを持っておられることを知って、平和集会の講師に選ばれました。まず驚いたのは、平和を語るに際し、天地創造の初めから、ことにも人類の誕生から語られたことでした。
人間以外の被造物は動植物みな種類に従ってとあるが、人間には種類はない。人は神のかたちに造られました。世に言う人種という概念は人間には当てはまりません。この辺を現在最前線の学術会議の報告書をも引用して説得されました。
人種ではなく、民族の違い(創世記9章18、19節に端を発する)が、しかしながら世界の歴史において、争いを起こす元となってきました。その民族間の争い、を塚田真理子師は宣教地派遣のごく最初から経験させられたのです。
それは。1998年5月スハルト政権の長い独裁が終焉したばかり、中華系インドネシア人が多数虐殺されました。日本人でよかったねえ、と言われ複雑な気持ちに、また、2001年にはカリマンタン島内での部族対立、ここでも日本人だから助かった、と。ところが、自分の知らない過去に、西カリマンタン奥地で、日本軍によるマンドール大量虐殺があったと、1つの著書を通して知るのです。その背景には、昭和16年12月8日(あの真珠湾攻撃、対米戦争の始まり)の帝国政府声明がある。いわく、そもそも東亜の安定を確保し、世界平和に貢献するは、帝国不動の国是にして、列国との友誼を敦くしてこの国是の完遂を図るは、帝国が以って国交の要義と為すところなり。なんという偽善!それも恭しく宣明す、というのだから、おぞましい。きっとこの著作ひとつに限らないであろう。他にも恥多き日本軍の戦時の残虐行為が存在したのです。
塚田師は、この著者とともに、私もまた不戦の誓いをするものである、と告白をする。
ただし、平和への道のりはあまりにも遠く、困難であることは誰しもが知る。話の終わり頃、1枚の写真を提示された。それは満天に輝く空の星々であった。
この星空を見あげて塚田真理子師は1つの確信に至r いました。
それは何か? 満天の星は、一つひとつは小さい光を放つのみであるが、おびただしくも無数に散らばるそれぞれの光の総和によって、かくも明るく地球を照らしているのです。
闇は光に勝つことはない。 私たち一人ひとりは小さい存在であるが、皆それぞれが置かれた場所で光り輝くことをもって、世界を明るくすることができるのである、と。最後に、日本国憲法第3章、国民の権利と義務を語られました。そして第2章第9条戦争の放棄を、結びの聖句として詩篇37篇37節「平和の人には未来がある。」
終わりには、夫君とトゥグー師のギターに合わせて「憩わせてください」を、自らの歌声をもって講演を終えられました。
講演のメッセージ全体を省みて思わせられたのは、塚田真理子師の講演のベースにキリスト教世界観がしっかりと据えられていたことです。なればこそ非常に絶望的と見える、一方で戦争、他方で飢餓、自然環境の破壊、と悪の跳梁(ちょうりょう)する中で、希望を語ることができているのです。この世界は主である神のもの、創造から終末に至る壮大な神の歴史を我々は生きているということなのです。