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日本同盟基督教団 教団事務所 

「ベクトルは鮮明に、そしてスタンスは広く」 伝道局長 廣瀬 薫

「ベクトルは鮮明に、そしてスタンスは広く」
伝道局長 廣瀬 薫(派遣教師)
「それなら、カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」(マタイ22章21節)

今年6月末、3年余り担ったJEA(日本福音同盟)の理事長を後任にバトンタッチしました。労を共にしてくださった諸教団派遣の理事の先生方にお礼のご挨拶をしたところ、某教団代表から、私にとっては嬉しいメールが届きました。「長い間、理事長としての重責を担われ、本当にありがとうございました。先生の『ベクトルは鮮明に、スタンスは広く』を何度もかみしめながら、JEAの理事の1人として奉仕させていただきました。これからも、このキャッチフレーズを心に刻んで、残された使命を全うする所存です」。
昨年度まで、同盟基督教団とJEAと東京キリスト教学園の理事長を兼任する期間がありました。肩書によって立場を使い分けるのは「神の国」の原理に反すると思っているので、どの団体でも同じ基本方針を「ベクトルは鮮明に、スタンスは広く」と言い続け、様々な課題に一貫して対処して来ました。前記のメールは、それを共有してくださった年長者からのエールと思えて嬉しかったのです。
1つ強調しておきたいことは、前半と後半をつなぐ接続詞は順接の「そして」であることです。私たちはえてしてこれを「しかし」と逆接につないで考え勝ちです。ベクトルを鮮明にすればスタンスは狭くなり、スタンスを広く取ればベクトルは不鮮明になると思うから、両者は矛盾していて両立しないと思うのでしょう。けれども、スタンスが狭くなると、分断と排除とさばき合いを引き起こします。ベクトルが不鮮明になると、「塩気の無い塩」になって存在意義を失います。どちらも「神の国」の姿ではなくなってしまいます。
冒頭のイエスさまのみことばの接続詞は(聖書では訳し出していませんが)「カイ」(そして)です。私たちはえてしてこれを、「カエサルのものはカエサルに返し、しかし、神のものは神に返す」と逆接につないで考えがちだと思います。前半と後半には常に悩ましい軋轢がありますが、これを対立的に受け止めてしまうと「神の国」は現れないのだと思います。「神の国」が包括する「伝道」と「社会的責任」は、本来は対立関係にはないからです。
実際には、ベクトルを鮮明にしてこそスタンスは広く取れます。スタンスが広く取れてこそ鮮明なベクトルは力を発揮します。この両者を、軋轢を内包しつつ両立させているように見えるのがカトリック教会です。人間の尊厳・生命の尊重等を明確に掲げながら、驚くほど多様な立場の人たちを内に包んでいるように見えるのです。例えば原子力発電所の可否について見るだけでも、司教団の見解と信徒の政治家の立場には大きな矛盾が見て取れます。それはカトリック教会がいい加減だからそうなのではありません。ヒエラルキーの各レベルの見解がどこまで「個人の良心」を縛るか(バインディングか)を、段階的に明確に法で定めているから実現可能な懐の深さなのだと思います。
同盟基督教団のベクトルは、「聖書信仰」であり「宣教協力」であり「合議制」です。これを鮮明に掲げつつ、懐の深い同盟基督教団であって欲しいと思っています。今の世界に私たちが目にしているのは、「塩気」が無くなって本来の存在意義を失っている社会の諸方面の姿と、分断と排除とさばき合いに進んでいる姿だと思います。だから、人間は大切に活かされず、「神の国」が妨げられる方向に圧力を受けています。この時代に同盟基督教団に期待するのは、「ベクトルをさらに鮮明に」することと、「スタンスをさらに広く」取ることです。特定の教派神学に立たない同盟基督教団には、そうできる素質が十分にあります。超教派のJEAはそれを共有してくれるでしょう。TCUにも協調を期待しています。リバイバルへの道はその方向にあると思っています。

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