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日本同盟基督教団 教団事務所 

闇の中に出て行こう 国外宣教委員長 吉持日輪生

理事の声
闇の中に出て行こう
国外宣教委員長 吉持日輪生(茨木聖書教会牧師)

「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」(ヨハネの福音書1章5節)

私が日々使っているノートパソコンのスクリーンセーバー(パソコンを一定時間使っていないと設定した画面に切り替わる機能)は、冒頭のみことばの「光は闇の中に輝いている」が真っ黒な画面に映し出されるように設定しています。イエスさまが、闇の世界に誕生され、闇の中を歩まれ、闇に打ち勝たれたお方であることを、その画面を見ながら思い返しています。

さて一方私たちは、どうでしょうか。ヨハネの福音書3章19節で「人々が光よりも闇を愛した」とあるように「闇を愛する」ことは良くないことと教えられています。またコロサイ人への手紙1章13節では「暗闇の力から救い出」された存在であると教えられていますし、イエスさまご自身も「光の子どもとなれるように」と私たちに語られています。エペソ人への手紙5章8節では「あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。光の子どもとして歩みなさい」と促され、さらにテサロニケ人への手紙第一5章5節では「あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもなのです。私たちは夜の者、闇の者ではありません」と教えられています。私たちは、これらの聖書の教えから、闇を避け、闇を毛嫌いし、光の方へ、光の方へと歩むようにしています。
しかし、私たちの救い主イエスさまは、「闇の中に」来られたお方であり、「闇の中で輝」かれ、「闇に打ち勝た」れたお方です。そのことを考える時に、それで良いのだろうかとある時から思わされています。
私たちは、闇を愛してはいけないし、闇に飲み込まれないように気を付けなければなりません。しかし、キリスト者は、キリストにならい闇の中に出て行く存在であるべきなのでしょう。仄(ほの)かであろうと、かすかであろうと、闇の中で光を放つ存在になるべきなのです。私たちは、今「新型コロナウイルス」という闇を経験しています。それだけでなく私たちの周りには、大小様々な闇が存在します。闇を見た時、闇に触れた時、私たちキリスト者は、光の子としてその闇に背を向け、その闇を避けるのではなく、光の子だからこそ、闇に出て行き、その闇の中で光を放つ使命、責任があるのです。そしてそこにも神さまのあわれみ、恵みを覚えます。それは、闇が深ければ深いほど、ほんのかすかな光でも周りを照らし、周りを温めることができるという事実です。闇の中に出て行くキリスト者、闇の中に出て行く教会として収穫の秋を歩みましょう。

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