日本とアジアと世界に仕える Japan Alliance Christ Church
日本同盟基督教団 教団事務所 

宣教としての事務管理について考える⑨

宣教としての事務管理について考える⑨
教会堂を「ととのえる」
河野優(法人事務主事)

○教会堂をどのように用いるか
平日に教会堂や駐車場を有料で貸し出すことができるでしょうか。教会からこのような相談を受けたことが何度かあります。
理由を尋ねると「平日の集会はほとんどなく、空けておくのももったいないので」「地域の方々が教会に足を踏み入れる機会になればと思って」「貸し出して収入を得られれば教会会計の助けにもなるので」などと答えが返ってきます。
教会の立場からすると、私も同じように考えるかもしれません。理由についても同意できるものに感じられます。
しかし、私はこの相談に対して、基本的にはお勧めしませんと答えています。というのも、賃貸収入が法人税の課税対象になったり、会堂の固定資産税非課税が取り消されて課税になったりするなどの可能性もあるからです。
このように答えながらも、勧めない理由は果たしてそれだけなのか、それで良いのかと考えていました。教会をどのように用いるかについて、もっと本質的に考える必要があるのではないかとの思いもありました。

○役割にふさわしく
そのような中で、思想家の内田樹氏のブログ(「内田樹の研究室」2019年8月12 日の投稿記事)が目に留まりました。
その記事は、著者が「図書館の役割について」というテーマで公共図書館の司書向けに行った講演に関するものでした。
民間事業者に業務委託した図書館の話から始まります。その事業者の戦略により来館者数や貸出図書冊数は倍増し、顧客満足度も上がったらしいが、図書館の社会的有用性はそのようなもので考量すべきではないのではないかと語ります。
その説明として、図書館は礼拝堂やモスク、神社仏閣などに似ていると言い、それらは「祈りのために」用いられるが、もしそれらを「祈り以外のこと」に用いた場合には「空気の乱れ」が生じ、後から来た人々はその乱れを感じるはずだと言います。そしてこの空気の乱れが静まるには、まる1日くらいは「何もしない」時間をとって「ととのえる」必要があるともいうのです。

○ふさわしくととのえ用いる
図書館から礼拝堂に話が飛ぶのはいささか飛躍しすぎな感をもつかもしれませんが。著者の意図するところは、図書館には図書館の、礼拝堂には礼拝堂のそれぞれにふさわしい役割があり、その役割にふさわしい用い方、ととのえ方があるのだということだと理解しています。
私は教会堂を礼拝以外のために用いるべきではないと言いたいわけではありません。コロナ禍により、教会における宣教活動は制限されていますが、通常であれば、多くの教会において会堂は広く地域に対して開かれ用いられていることと思います。
私が見聞きしているだけでも、教会堂は子ども食堂、放課後学童、高齢者向けのサロン、教会カフェなど、福祉的な活動を中心に多様な活動のために用いられています。
すべてのことを主のために行う教会にとって、これらの働きは福音への応答としての宣教の働きであり、それは教会の用い方として主の御前にふさわしいものだと言えるでしょう。
冒頭の相談に対して、実務者としては先の理由でも間違いはないと思うのですが、より重要なことは、教会堂には教会堂にふさわしい用い方があり、それにふさわしいかどうかを教会が信仰によって主体的に判断することであると改めて気付かされました。
私たちは、世の流れや価値観に左右されず、みことばと祈りによってキリストのからだなる教会を、自分自身を、そして建物としての会堂を「ととのえる」ことが求められているのではないでしょうか。
コロナ禍によって変えるべきもの、変えてはいけないものを見分けることを迫られている今、教会堂をふさわしくととのえ、用いる事ができているのか、省みる必要があるのではないでしょうか。

Print Friendly, PDF & Email