日本とアジアと世界に仕える Japan Alliance Christ Church
日本同盟基督教団 教団事務所 

神の協力者 社会局局長 山村諭

神の協力者

社会局局長 山村諭(茅ヶ崎同盟教会牧師)
 「私たちは神のために働く同労者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。」(Ⅰコリント3章9節)

『新改訳第3版』はこの箇所を「神の協力者」と訳していましたが、『新改訳2017』では「神のために働く同労者」と改訳されました。ギリシア語の「神の」の「の」が意味することを,文脈に即して明確にしようとしたのだと思います。
コリントの教会には「ねたみや争い」が起こっていました。パウロにつくか、アポロにつくかで分裂している教会に向かってパウロは、自分たちは「あなたがたが信じるために用いられた奉仕者」なのだと語りました。パウロが植えて、アポロが水を注いだけれども、大切なのは「成長させてくださる神」なのであって、奉仕者である私たちは、その「神のために力を合わせて働く者」なのだと自己理解を明確にしているのだと言えます。
文脈からすれば「神のために働く同労者」という訳は適切なのだと思います。しかし3章9節の脚注には、直訳は「神の同労者」であり,別訳とし「神の協力者」と記されており、以前の訳の可能性も残しています。「神の協力者」とすると、「神と共に働く者」という視点も入ってくることになります。パウロもアポロも神と同労者であるという視点です。
最近読んだ本を通して、「神の協力者」ということについて考えさせられています。人を救い、人を造り変え、人を新しくし、成長させてくださるのは神ですが、神はご自身の救いの御業のために奉仕者をお立てになるのです。人をご自身の御業に参与させてくださり、種を蒔く者、水を注ぐ者としてお用いになる。神は人の助けを必要とせずに御業を行うことのできるお方であるにもかかわらず、人をご自身の御業に参与させて,「神の協力者」として用いてくださるのです。
神のために働く同労者のお互いという視点は、宣教協力の教団として大切にすべき点だと思います。職制の一致があるとは言え、教師には個性や特性があり、教会にもそれぞれの特徴がありますから、神のために働く同労のお互いを認め合い尊重することは、1つに建て上げられていくために必要なことです。それと同時に私たちそれぞれが「神の同労者・神の協力者」であるという視点も大切にすべきだと思います。奉仕者として立てられる私たちは、いてもいなくてもよい、どうでもよい存在ではなく、神によって召され、神とともに働く者とされているのです。神はその人の個性や特性を用いて、ご自身の御業を推し進められるのです。教師であっても信徒であっても、それぞれに召された場で、それぞれが担うべき働きを通して、神の国の前進のために用いていただけるのです。そこに参与させていただいていることを自覚的に受け取るときに、神の協力者は、宣教のための労苦をも喜んで担う者とされていくのではないでしょうか。
この夏、以前仕えていた教会で洗礼を授けた方の訃報を受けました。この方が洗礼式の時に語った証しを思い起こしています。大学で長く教鞭(べん)を執られた方で、努力の人でした。「人事を尽くして天命を待つ」が座右の銘でしたが、信仰を与えられて「天命を信じて人事を尽くす」という生き方に変えられたと証しされました。天命、神のご計画を信じて、自分がおかれた場所で力を尽くす。そういう生き方の転換が、キリストとの出会いによって与えられたのです。「神の協力者・神とともに働く者として」の姿勢がそこに表されていると思います。神は恵みに応答する生き方を私たちに与えてくださっています。「神の畑」として実り、「神の建物」として建て上げられていくとき、「神の協力者」としての生き方も同時に開始されていくのではないでしょうか。
神のために働く同労者であり、神の協力者でもある同盟基督教団の教会は、それぞれの持ち場で、福音のために力を尽くすお互いでありたいと願います。

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