国内宣教~ 特集~ フランソン・スピリット 第7 回前回、2005年のSAM( スウェーデン・アライアンス・ミッション) 訪問に触れました。今回の本題に入る前に、その訪問の時に心に残ったことを1つ紹介します。
滞在期間、終始親身にお世話くださったアンダーソン宣教師は、スウェーデンに帰国後、奥さまと共に中東からの難民を支援するボランティアをしておられました。それを見て私は少しひねた質問をしました。「アンダーソン先生が、イスラム教徒の移住者たちにスウェーデン語を教えておられることは尊敬すべき愛の行為だと思います。けれども、イスラム教徒である彼らの信教の自由を認めつつ支援しても、逆に彼らの方は、キリスト教徒の信教の自由を認めません。このまま彼らが増えれば、やがて貴国がイスラム教徒が多数の国になってしまい、キリスト教会が圧迫される危険をどう思いますか?」。それに対する返答は、私の予想しないものでした。「それでもいい」と言うのです。「結果はどうなろうとも、私たちはただ神さまのみこころに従って隣人を愛するのであって、その結果がどうなるかは神さまにお任せすればよいのです」。私はダニエル書3章18節の「たとえそうでなくても」を思いました。神さまが救ってくださっても救ってくださらなくても、偶像を礼拝しないという正しい道を選ぶと答えた信仰の言葉です。
今の時代、キリスト教会は困難な時を過ごしていると感じます。その時、良い結果が期待できるとか、自分の得になるかどうかとか、目標数値に寄与するかとか、そんなことで道を選ぶのではなく、損得抜きで「ただ神さまのみこころに従う」という姿勢が大切でしょう。「フランソン・スピリット」の本質は、「神さまのみこころだから」という理由だけで、犠牲を惜しまずに宣教し、未伝地に向かう救霊の情熱を持ち、世界的な視野に立ち、再臨を待ち望む緊迫感を持って宣教するのです。
それからもう1つ、「フランソン・スピリット」は私たち同盟基督教団だけのものではありません。以前この欄に倉沢先生が書いておられたように、フランソンにゆかりのある教団が集まった「フランソン・コンサルテーション」には、福音自由、同盟福音、JECA、旧日本聖書福音教団等、多くのグループが集まりました。
つまりフレデリック・フランソンの日本宣教への影響範囲は、普通受け止められているよりもずっと広いのです。その中からその後同盟基督教団に加入した幾つもの教会は、フランソンという共通のルーツをもともと持っていた仲間なのです。「フランソン・スピリット」は同盟基督教団を超えた諸教会の土台にあり、加入教会をも含めて宣教協力の共通の土台となり得る、今も普遍性を持った絆としても大切なものです。時々、自分の信仰と実践が、フランソン・スピリットに合致しているかどうか、顧みてみるのも、同盟基督教団の一員として、意味があることだと思います。