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ITを神学する?! ②

ITを神学する?! ②

齋藤謙治(港南福音教会牧師)

こんにちは!「Dr.ガジェット」こと齋藤です。前回は、テクノロジーは神さまから与えられた「創造力(ものを生み出す力)」の現れである一方、そこには罪による歪みも入り込んでいるというお話をしました。では具体的に、私たちキリスト者はITとどのように向き合っていけばよいのでしょうか。今回も「ソウル声明」を手がかりに、ご一緒に考えていきましょう。

スマホによる「弟子訓練」?
みなさんは、自分のスマホの「スクリーンタイム」(Androidの場合はDigital Wellbeing)を見てショックを受けたことはありませんか?1回10分のSNSチェックだけでも、12回繰り返せばあっという間に2時間です。「この時間を他のことに使えたら…」と思ったことがあるのは、私だけではないはずです。
ソウル声明はそんな私たちの現実を、SNSやデジタルメディアによって「弟子訓練」されている状態だと表現します。どこからともなく流れてくる情報、誰かのキラキラした日常、アルゴリズムが選んだ広告。それらにどっぷりつかるうちに、私たちの価値観や思考が、聖書ではなくメディアによって形作られているのではないか、という指摘です。似たような問題は昔からありましたが、スマホの登場によって、その深刻さはいよいよ増しています。

IT時代の「預言者」
だからといって、「スマホを捨てて昭和の生き方に戻ろう!」というわけにはいきません。もはやスマホなしの生活は考えられません。むしろ、このような時代だからこそ、キリスト者はテクノロジーに対して「預言的に批判をし、また関与するよう召されている」とソウル声明は語ります。
「預言的」と聞くと、少し重く感じるかもしれません。要するに大切なのは、ITを使う動機と目的を問い直すことです。私たちはつい、「便利だから」、「流行っているから」という理由だけで新しいものに無批判に飛びついてしまいますが、多くの場合、そこには落とし穴が存在しています。
たとえば、AIによって私たちはどんな情報でもインスタントに手に入れることができます。しかし私たちはしばしば、AIの回答を読んだだけで、何でも「分かった」気になってしまいます。聖書を読み、黙想し、祈りのうちに神の語りかけをゆっくり待つ。そんな信仰者の霊性が、気づかないうちに薄れていってしまう危険性は大いにあるのではないでしょうか。
前回も書いたように、テクノロジーにおいて問われるのは、テクノロジーそのもの以上に、それを生み出して使う私たち人間のあり方です。そして、本当の意味で人間のあり方を問うことができるのは「神のことば」だけであると私たちは信じています。
だからこそ大切なのは、変わることのない「神のことば」をしっかりと握りつつ、止まることを知らないテクノロジーに対して、時にブレーキをかけることです。否定するのではありません。テクノロジーは本来、この世界を管理するために神さまが人に与えてくださった「創造力」の現れです。その本来の目的にかなった使われ方がなされるとき、テクノロジーは豊かな祝福をもたらします。そのために声を上げ続けることこそが、IT時代の「預言者」として召された私たちキリスト者に与えられた使命なのです。

「ITの神学」についての2回の連載、いかがだったでしょうか。ここまでご紹介したのは、ソウル声明のテクノロジーに関する章のほんの一部です。関心のある方は、ぜひ公式サイトからソウル声明の全文を読んでみてください。聖書からITについて考える新たな視点が得られるはずです。みなさんも聖書とともに、祝福あふれるITライフを!

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